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2010年10月

2010年10月26日 (火)

『荒地』──やっと出た、より作者の意図に近い翻訳

『荒地 』(T・S・エリオット著、岩崎宗治訳 2010年8月刊、岩波文庫)

 日本の「現代詩」は、いわゆる「荒地派」から始まったが、この「荒地派」は当然、T・S・エリオットの『荒地』に影響を受けて、第2次大戦後、詩人として出発した人たちである。ところが、彼らが読んだエリオットの当のThe Wast Landの翻訳は、第1の詩の、The Burial of the deadのみであった。
 これは、われわれもよく知るところの、「四月は残酷な月……」という感傷的なフレーズで始まる第1部だけだった──。それを、終戦後の、古い価値観が壊れ、ある種の虚無に支配された時代のなかで、いわば、「我田引水的に」読解した──。

 いまの日本の「現代詩」と言われる出発点は、そういう皮肉な背景を持っている。評論家の加藤周一はそのあたりの「誤読」を認識して憂えてもいたらしい。

 本書の翻訳は、その出発点としてのエリオットをもう一度見直すよい機会を与えてくれる。訳者、岩崎宗治は、長年エリオットの研究をされてきた学者だが、「現代詩界」では、名前が知られているとは言えない。こうした乖離は、本書の「あとがき」等からもうかがえる。

 エリオットの、The Waste Landとは、アーサー王伝説のパロディであり、そのなかに登場する、「荒廃国」が、Waste Landなのである。この詩は、ジョイスの『ユリシーズ』の向こうを張って書かれたのであり、ドイツ語、フランス語が入り交じる多言語のテクストである。テクスト意識として、近いと思われるのは、ドナルド・バーセルミの『王』である。

 「ほんとうはお茶目な」The Waste Land(『荒地』という訳もいかにも感傷的であるが、すでに定着しているので、ダンテの『神曲』のように、今更べつの訳にするわけにもいかないのだろう)の、より作者の意図に近い訳がやっとでたという感じだ。

 本書の注釈と解説は、岩崎氏の研究の精髄がたっぷり盛り込まれていて、文庫本ながら、分厚い研究書にも匹敵するほどの情報量である。

 ただ、いまの日本の「現代詩界」とのスタンスのとり方が甘い。


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2010年10月19日 (火)

『シングルマン』──芸術に必要な自己批判がない

『シングルマン』(原題: A SINGLE MAN)監督: トム・フォード

 ヴィスコンティの『ヴェニスに死す』がいかに傑作かが再認識される映画である(笑)。

 確かにセンスはいい。しかし映画はスタイリッシュなだけでは成立しない。『悪人』のレビューにも書いたが、やはり、コリン・ファース演じる主人公は抽象的人物である。具体的な実感の感じられない人物が、いかに悲しみ、絶望しようと、観客は心を動かされない。いったい、コリン・ファースはどんな気持ちでこの役を演じたのか──。

 1960年代という時代をどうとらえているかも見えない。ただ、車の中にいる他人の犬に、窓の外から長いことほほを寄せて「バタートーストの匂いがする」なんてつぶやくところは面白い。実際にこういうオジサンがいたら、気味が悪い(笑)。……そうか、あまりに「こぎれいすぎて」、『ヴェニスに死す』のような滑稽さがないところが、本作を芸術から遠ざけているのかもしれない。

 芸術とは、自己批判があってこそはじめて成り立つ。それがなければ、ただのファッションである

*****

 「けふのお写真」は、「枯葉のなかを歩くわん太」


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2010年10月14日 (木)

『だから、新書を読みなさい』──フォーマットでくくってしまうには無理がある

『だから、新書を読みなさい』奧野宜之著(サンマーク出版 2009年9月刊)

 新書というのは、かなり玉石混交率が高いフォーマットである。そう、それはただ、フォーマットにすぎない。ただ、近年続々刊行される新書の傾向を見ていると、確かに、本書の著者が提唱しているような方法で「読む」ことも考えられる。

 しかし、本書にあるように、新書だけに限定してしまい、テーマで検索をかけ、新書を探すと、池田清彦氏の『新しい生物学の教科書』(新潮文庫)を形式で、斎藤兆史氏の『努力論』(ちくま新書)をテーマで落としてしまう恐れがある。どちらも、すぐれた新書に見られる特質を持った本である。

 また、熊野純彦編著『日本哲学小史』(中公新書)や、清水幾太郎『論文の書き方』(岩波新書)のような深い内容の本は、とても「喫茶店でザッピング」というわけにはいかない。

 そういうものを、すべて、「新書」という枠のなかに取り込み、その扱いについて、ひとくくりになにか言ってしまうことにはかなり無理がある。

 それでも、「あえて」、本書を買ったのは、いささか皮肉ながら、「新書よりも軽い」「軽くザッピングできそうな」本書の、装丁も含めたフットワークに、なにか新しさを感じたからである。

 情報収集の道具として新書を使うという方法は、まともな読書家なら当然なことばかりであるが、この著者ならではの方法といえば、『カレンダー世界史』や『20世紀理科年表』などを、「レファレンス」として使うというところであろうか。なるほど、こうした使い方なら、新書は、辞典より軽いし、気軽に書き込みもできる。

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著者:奥野 宣之
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2010年10月13日 (水)

『ナイト&デイ』──「普通の女」の時代

 
 『ソルト』のアンジェリーナ・ジョリーの役は、トム・クルーズがやることになっていたそうだが、なるほど、あの役を、女性のアンジェリーナが演じた方がおもしろくなっていた。あれを、トム・クルーズが演じたら、『ミッション・インポシブル』とそう変わらない、二番煎じのスパイものになっていただろう。そういう役を蹴って(?)、トムが、なんで、わざわざ同じようなスパイ・アクションものに出るのか? 本作を観て納得した。

 スパイものも、時代が進むに従って、新しいなにかが必要になってくる。国際的な状況も、テクノロジーも、時代が映画に追いつき、追い越していく。ボンドガールを「守る」『007』は、設定が新しくなっても、どこか感情移入できない。強い女の『ソルト』は、時代には即していたが、ソルトの「事情」や背景が暗すぎた。

 いまは、「一般人」の時代である。「一般人」が、スパイを救う──。それを、「メカに強い」「楽観的な」「一般人の女」を、キャメロン・ディアスが演じている。ただの「ゴージャスな組み合わせ」以外、なんでこのふたりが? と思うような組み合わせであったが、映画を観れば、この2人しか考えられない組み合わせである。

 「デリケートな心遣い」が魅力のスパイ、トム・クルーズと、「大胆不敵な」一般人の女性、キャメロン・ディアスが、「いま最もピンと来る」スパイものを見せてくれる。

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2010年10月11日 (月)

『上杉隆の40字で答えなさい』──真のジャーナリスト

『上杉隆の40字で答えなさい~きわめて非教科書的な「政治と社会の教科書』 (大和書房 2010年9月刊)

 フランスのLe Mondeや、Liberation、イギリスのBBC、アメリカのNY TImes、CNNなどをネットで読み、日本のできごとがどのように扱われているか比較検討していると、日本のメディアが、上杉氏の言っているとおりであることは納得できる。

 欧米のジャーナリストは個人的思想をベースに記事を書くが、日本の、とくに、大手の組織に属している「社員」のジャーナリストには、そういう「顔」は、許されない。テレビのコメンテーターも、新聞の社説も、一律、どこかで聞いたような、紋切り型意見しか吐かない。

 個人の責任でものを言っている場合には、その思想がたとえ偏っていても、「事実」については推測できる。偏っているぶんを、読み手が調整すればいいのだから。しかし、一律同じような大儀名文は、では事実はどうなのか、ということが見えにくいし、責任の所在も見えにくい。

 その意味では、日本には、真の意味でのジャーナリズムは存在しないかもしれない。上杉氏のスタイルがあたりまえのようになるべきである。

 池上彰氏と比較されているレビュアーがいらっしゃったが、池上氏こそ、不明確なジャーリストの代表のようなものである。だいたい、この人の文章読んでも、肝心なところは微妙に省かれているので、私的には、氏の本には、もう手が伸びない(笑)。

上杉隆の40字で答えなさい  〜きわめて非教科書的な「政治と社会の教科書」〜Book上杉隆の40字で答えなさい  〜きわめて非教科書的な「政治と社会の教科書」〜

著者:上杉 隆
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2010年10月 7日 (木)

『街場のメディア論』──メディアの寵児、メディアを叱る(笑)?

『街場のメディア論』内田樹(光文社新書)
 
 本書で言われてることは、「しごくもっともな」ことである。さすが、人気の書き手、「メディアの寵児」である。しかし、これは、「大学の先生」の論理である。ということは、若い学生には、大変ためになるかもしれない。しかし、いいおとなが、それも、なにか知的思考をしようとするおとなが読むのに値するかどうか? 電子書籍に対する、紙の書籍の擁護に、書棚の見栄効果をあげているが、だいたい、見栄で、「書籍を配架する」(内田樹は、タメ語調のエクリチュールに、さりげなく、こうした漢語を混じらせ、「くだけている」が、「知的権威」でもある著作家を演出しているようにも見える(笑))などは、おもしろいパフォーマンスではあるが、現実問題としては時間の無駄である。
 
 なるほど、内田樹の論調は面白く、「(こころよく)辛口」であるが、私は、氏を、高橋源一郎、橋本治とともに、日本出版界の3大啓蒙家と呼んでいるが(笑)、結局、読ませる芸はある。しかし、ほんとうのところ、これらの人たちは、「自分のことにしか関心がない」ということを、読者は心得たうえで、ファンになるならなればいい。

 読者は、本書を読みながら、果たして、自分はこういう世界に生きているのか、胸に手をあてて考えてみられるといいと思う。

 内田氏は、ネット上の氏の書き物に対して著作権フリーを宣言しているが、こういう行為は、いかにもかっこいい。だが、実は、10年前にもそういう文筆家はいた。「革命」はいいが、もしかしたら、世間的には、「はた迷惑」かもしれない。ほんとうに、メディアを批判するなら、まず、メディアからの仕事はすべてお断りになることですな。しかし、なんで、「街場」なんですか? ただの「メディア論」じゃ、いけないんですか?


街場のメディア論 (光文社新書)Book街場のメディア論 (光文社新書)


著者:内田 樹

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2010年10月 3日 (日)

『15分あれば喫茶店に入りなさい。』──常に勉強している人の、軽く中身の濃い本

『15分あれば喫茶店に入りなさい。 』齋藤孝 (幻冬舎 2010年9月刊)

いかに効率的に仕事や勉強をするかのハウツーを公開した本というのは、出尽くした感もあり、「喫茶店で仕事や勉強しよう」→もうやってる……となる。しかし、本書の力点は、「15分あれば」におかれている。10分しかなかったら、喫茶店に入る人はそういないと思う。しかし、齋藤孝は、あえて、そうする。どういう理由で? また、なにをするのか? どういう道具を持って? それらが、「タクティクス」として説明されている、

 普通、どんなに良心的な著者でも、「企業秘密」に近いようなパーソナルな方法というものは公開してないと思うが、本書にはそういう「新鮮な情報」が結構詰まっている。

 つまり、齋藤孝は、常に勉強し向上しているので、こういうものを公開しても、「次の段階」に行ける余裕があるのだろう。日々変化し溢れ続ける、玉石混交のビジネス書の山から、まず抜き出したい1冊である。

 装丁も、重量が軽い、さらっとした手触りの紙に、やわらかな印象のエンジの活字で、手にも目にも心地よい。

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 「お写真」は、「猫が気になるわん太」

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15分あれば喫茶店に入りなさい。Book15分あれば喫茶店に入りなさい。

著者:齋藤 孝
販売元:幻冬舎
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2010年10月 2日 (土)

『十三人の刺客』分析

 ほんとうは、『パリ、20区』を観たのだが、それはまたのちほど語るとして、さらに、『十三人の刺客』を分析してみたい。

 残虐城主に付き、彼を守り通している側近の、市村正親は、主人の行いをよかれと思っているわけではない。ときには、諌めてもみせる。しかし、武士とは主君に忠誠をつくすこと、が、市村の生のポリシーである以上、文字通り死ぬまで(笑)主人を支え続け、昔馴染みですらある、反逆者、役所広司と対立する。

 『十三人……』では、赤穂浪士のように、城主を討つことはそれほど極秘ではない。すでに市村は知っている。集められた刺客のメンバーもわかっている。秘密なのは、そういう動きではなく。「作戦」である。ゆえに、これは、「真珠湾攻撃」ではなく、堂々たる戦争である。また、革命でもある。

 作中、各所で、サムライとはなにかが問われる。市村は古いタイプの、というか、杓子定規にしか、サムライを考えられないタイプである。一方役所は、主人につくすと、いう忠義を、もっと人間的なものにつくすという、広義の、そして、高次のレベルへと考え抜いていく──。

 それを、CGを駆使することもいとわず、一大エンターテインメントとして表現したところに、本作のすばらしさがある。

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