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2011年6月

2011年6月21日 (火)

『127時間』──最高のイケメンによる最悪の事態

 『127時間』ダニー・ボイル監督

 本作は、映画の題材のために、「ネタばれ」で語るレビュアーが多くなるのではないかと思う。しかし、どこまでがネタバレかは、微妙なところである。アメリカであった事実は、かなり有名になったものなので、すでに結果を知っている人が多いと思う。その結果を語ることがネタバレに抵触するのかもしれないが……。
 しかし、本作は、そういうストーリーはさておいても、自然界を冒険することが好きな若者が、その冒険で最悪のアクシデントに見舞われ、いかに対処するかという話であるが、その最悪の時間の描出は、観客に、他者を、最高度のプライバシーに踏み込ませながら凝視させる。ちょっとやそっとの風貌では醜さがすぐ露呈してしまう。すると、映画の意味は違うものになってしまう。もっと重い、行いそのものに対する意見や、自然界の恐ろしさというものに言及させてしまうかもしれない。
 しかし、それは、監督のダニー・ボイルの意図するところではない。映像を見ればわかるとおり、ボイル監督は、かなり軽い、明るいノリで、この最悪の事態を描く。この若者の機転、知恵が、自然界と対峙して、試される……。こういう意図を表現するには、まずなによりも、軽い感じの繊細な風貌の、最高のイケメン俳優が必要である。しかも、かなりの演技力のある……。
 といったら、いま、このヒトしかいない。ジェームズ・フランコである。
 出発前、水筒に水が満たされていくみずみずしさが美しい。それはドラマの伏線でもある。
 車から自転車に乗り換えて疾走する場面のスピード感が美しい。オープニングの音楽も、相変わらずセンスがいい。


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2011年6月13日 (月)

『六月博多座大歌舞伎』──変革しないと歌舞伎は滅びるかもしれない

『六月博多座大歌舞伎』(夜の部)

一、 仮名手本忠臣蔵
   七段目 祇園 一力茶屋の場
   大星由良之助 幸四郎
   遊女おかる 魁春
   寺岡平右衛門 梅玉

二、 英執着獅子(はなぶさしゅうじゃくじし)

   姫のちに獅子の精 藤十郎

三、 魚屋宗五郎
   新皿屋舗月雨暈

   河竹黙阿弥作

   魚屋宗五郎 菊五郎
   女房 おはま 魁春
   召使い おなぎ 萬次郎
   浦戸十左衛門 左團次
   磯部主計之助 松緑

 豪華な出演者であるが、もはや、歌舞伎界は、ネームバリューだけが客よせのための大きな売り物になっている。だが、いかなる名優も年を取る。花伝書にも「引き際肝心」とある。上のスターたちを見れば、とうに引退していていいお年のはずである。それを、老体に鞭打って(?)、公に肉体を晒し続けなければならない高齢化社会哀し……である。

 まづ、松たか子のオトッツァン、幸四郎は、ミュージカル「ラ・マンチャの男」のやりすぎか、もはや、歌舞伎の文脈を忘れてしまっているようである。もともとそれほど歌舞伎がすきでないのか、芝居が段取りになっている。酔っている場面と、冷静な場面との、メリハリが見せ所なのに、その差がわからない(笑)。セリフも口もごもごで、なにを言っているのか、わからない。

 次に、人間国宝、坂田藤十郎。かつての振り袖姿の、コサックダンスはすばらしかったが、その体力はすでになく、いくら稽古を重ねても、ついていけないエージングの哀しさ、空しさを、もっと肉体に溜めるべきである。そうすれば、演目も決まってくるであろう。客がアクロバット的なものを期待するからと思うのか、獅子のカツラをつけての頭まわしは、限界であるぞよ。踊っている間の口ぱくは、入れ歯が合わないのか……?

 最後に控えし、寺島しのぶのオトッツァン、菊五郎。この人は、根っから芝居がすきなのだろう。それに華がある。色がある。で、トチリ(今回はなかったが)など気にせず突き進むところがよい。ので、やはり今でも観客を引きつける。けれどそれでも、限界はあるだろう。寂しいけど、早いうちに引退した方がいいかも。しかし、もう引き際を見失った、上記、お三方なのかもしれない。

 脇には、それなり芸のある役者がいる。遊女おかると、魚屋のおかみのおはまを使い分けて演じている魁春など、安定した芸を持っている。どうだろう、こういう人々に、主役を譲っては?
 秋には、アノ、海老蔵が、オトッツァンの団十郎と共演出演するようであるが、マスコミは、暖かい目で、こういう、姿かたちのいい若手を見守ってもらいたい。松本家の染チャンとか、寺島家の菊之助とか、正真正銘のサラブレッドたちに、コクーン歌舞伎もいいが、本家を本気で継いでもらいたい。とはいえ、歌舞伎は、「松竹」が支配していて、マネージメントにはいろいろあるんだろう。

 最後に、演目の『仮名手本忠臣蔵』であるが、いったい「誰」の作なのか、竹田出雲、三好松洛、並木千柳作の、アノ古典『仮名手本忠臣蔵』とは、ちとちがうようである。
 わかりやすいように翻案してしまった「台本」が流通しているんでしょうか?


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2011年6月10日 (金)

『奇跡』──世界を選ぶことのすばらしさ

『奇跡』是枝裕和監督

 是枝監督のすばらしさは、紋切り型を、徹底的に回避していくところにある。

 都会から来た転校生がいじめられる……それは、数十年前の、この種の、家族とか子どもとかをテーマにした映画の紋切り型(ステレオタイプ)である。そうでなくても、きょうびの小学生は、「いじめの時代」はとうに過ぎ去って、互いに気を使い合う、まるで、おとな社会のような過ごし方をしているという。
 紋切り型は、そういうイジメや、両親が別れたつらさを生き抜き、やがてはハッピーエンドとなる。あるいは、ちょっと前のハリウッド製ハートウォーミング映画なら、ほんとうに奇跡を起こしてみせる。あるいは、実存主義的映画なら、奇跡などあり得ないことを酷薄にも見せつける──。

 だが、本作は、どの道をも取らない。そもそも本作は、ストーリーでなにかを語ることを目的にしていない。この映画の主題は、「自分と世界とでは世界を選べ」ということである。それがすがすがしいまでのディテールの積み重ねによって語られている。
 主役の子ども二人も名演ではあるが、それらを光らせているのは、ベテラン俳優たちの、「いぶし銀の」(とあえて言ってしまうが)ような演技である。どんな脇役にも命が吹き込まれている。そして相変わらず、主役の子どもとは、つかず離れずの祖母を演じる、樹木希林がすばらしい。


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2011年6月 1日 (水)

『アジャストメント』──SFがラブ・ストーリーだっていいじゃないか

 政治モノなのか、SFなのか、ちょっと変な気持ちを抱くような作りである。まあ、原作がフィリップ・K・ディックなら、さもありなんという感じである。本作の主人公を、トム・クルーズが演じたら、安心してSFと思えたかもしれない。しかし、マット・デイモンだと、われわれはどうしても、もう少しホネのあるスパイものを自然に期待してしまう。話が進むにしたがって、そういう期待はどんどんはぐらかされていく。
 NYに雨が降る。なんかいい感じである。湿った船着き場。キーパーソンから借りたパナマ帽をかぶって、マットが走り出す。雨のNYを。音楽が劇的に変化する──。
 結局、ラブ・ストーリーである。ラブ・ストーリーはどれも陳腐である。だからラブ・ストーリーなのだが。SFがラブ・ストーリーだっていいじゃないか、と納得して帰れば、少しは救われた気分になる。

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