« 2011年8月 | トップページ | 2011年10月 »

2011年9月

2011年9月24日 (土)

『いますぐ書け、の文章法』──ライター、それが問題だ

 『いますぐ書け、の文章法』(堀井憲一郎著、ちくま新書、2011年9月10日刊)

 よく雑誌などで、ライターと呼ばれる人々の文章を読み、「ん?」と思う。「正しくない日本語」はともかく、「いますぐ、書いた」結果なのか、何を言ってるのかわからない。要するに、要を得ないのである。最初と最後では論旨が矛盾していることもままある。本書も例外ではない。本書の筆者は、15ページで、「大事なのは、自分の考えがきちんと伝わる文章を書くことである」と書いているが、では、129ページの章見出しにある、「文章で自己表現はできない」という主張とどう違うのか? 自分の考えがきちんと伝わる文章=自己表現ではないのか? 
 ライターであれ、文学の作家であれ、普通の人であれ、きちんとした文章を書かなければ、きちんと思考できないのである。きちんとした思考のできない頭で、いくら「いますぐ書いた」って同じところを堂々巡りするしかない。この筆者は、今は、「ライター」で食えているので、自分は間違ってもいないし、人にも教えられると思っているのだろうが、この種のライターは、いつだってスペアがあるので、いつまで続けられるかは、わからない。こういう粗い文章を読んで、これでいいのだと思ってしまう「アマチュアの」「ライター志望者」を作ってしまうことは害である。

 だいたい、この本を数行読んで、全然惹きつけられなかったのだから、本書のテーマである、人を惹きつける文章とはなっていないのは皮肉である。文は人なり。この人は、まともな本など読んでこなかったのだろう。


いますぐ書け、の文章法 (ちくま新書)Bookいますぐ書け、の文章法 (ちくま新書)


著者:堀井 憲一郎

販売元:筑摩書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する


2011年9月22日 (木)

『表裏井上ひさし協奏曲』 ──DVの資料として非常におもしろい

 『表裏井上ひさし協奏曲 』(西館好子著、牧野出版、2011年9月刊)
 
 私は、井上ひさしという作家にはなんの関心もない。ただ、この作家が、作家としては、いろいろきれいごとを書いたり発言したりしながら、それこそ「裏」では、オレは作家だ、書けないのはおまえのせいだ!と、妻を殴っていたという事実には、野次馬的な興味をそそられた。
 某作家のブログには、評論家の江藤淳もまた、妻を殴っていたと書かれていた。
 トルストイをもじっていえば、DV亭主のいる家庭は、どこも似てない……のかも。100歩譲って、DV亭主の立場に立てば(笑)、確かに、殴りたくなるような女は存在する。「私はかなり勝ち気で……」と書かれている、前井上夫人も、もしかしたら、井上ひさしにとって、殴りたくなる女だったかもしれない。殴っても殴っても、耐えている強さ、ふてぶてしさが、さらに暴力を加速する……なんてこともあったかもしれない。一方、もしかしたら、江藤夫人は、殴られても、これまた耐えてはいるが、態度はふてぶてしくなく、むしろ弱い女だったかもしれない。これはこれで、また殴りたくなる……。つまりは、外ではいい顔を見せ、家の中では、妻に腹いせする……。これはそのまま、弱い者イジメの構造である。
 夫が家のなかで原稿を書いている……同時に、妻も家で家事をしていたら、家は息苦しい空間となる。まあ、そんな場合でも、いろいろ処し方があるのだろうが、ついDVに走ってしまうような人は、もともとそういう素質を持っているのだろう。
 だから、夫選びに重々お気をつけください。
 
 本書は、その率直さゆえに、大変興味深い資料となっている。
 でもサ、なんか、別れても、「割れ鍋に閉じ蓋」って感じですけどね(笑)。
 
 余談:20年ほど前のことですが、遅筆の井上ひさしセンセイが、おそらく某文芸誌の正月号に、間に合わなかったゆえに、拙小説のデビュー作を掲載していただいたのではないかと思われるので、私としては、「ありがとー」なんですが……(笑)。


表裏井上ひさし協奏曲Book表裏井上ひさし協奏曲


著者:西舘 好子

販売元:牧野出版
Amazon.co.jpで詳細を確認する


2011年9月 8日 (木)

『私たちはこうして「原発大国」を選んだ - 増補版「核」論 』──なんとなく、ズレている

 『私たちはこうして「原発大国」を選んだ - 増補版「核」論 (中公新書ラクレ) 』(武田徹著、2011年5月刊)

 まずジャーナリスティックな論考で大切なことは、それが書かれた時期である。というのも、思考というのは、ある現実があってはじめて可能となるからである。

 本書は、2002年に出版された本に「加筆、修正し」たものが、2006年に文庫になり、さらに、それを「改題し、加筆、修正され」、自分で書いたのではなく、「談話」を前書きとしたもので(末尾にそうあるが、日付の記述が誤解されやすい。私の解釈は違っているかもしれない。言えるのは、モト本は、10年近く前ということである。それは、本文の書かれ方からもすぐにわかる)、これはそのまま、「2011年論」となっていて、これ以外には、「2011年論」は見たらない。

 内容は、「1954年論」、「1957年論」、「1965年論」、「1970年論」「1974年論」、「1980年論」、「1986年論」、「1986年論」、「1999年論」、「2002年論」と題された、それぞれの時代の、「原子力」をめぐるキーアイテムを配した論考で構成されている。とにかく本書は、「2002年論」を最後に、実にお粗末な「2011年論」まで、間があいており、その間の、たとえば、「フランスのアレバ(使用済み核燃料再処理会社)」などの、きわめて現代的なキーワードに関するものはない。これが何を意味するか──。すなわち本書は、題材がタイムリーだったので、ちょっとした化粧(あまりにおざなりの化粧ではあるが)を施して、帯には「『反対派』も『推進派』も『歴史』を見よ」と大げさに書かれて売り出されたのである。「『天声人語』で話題の本」ともある。いまどき、こういう売り文句がなんらかの価値を保証するものかどうか……。「糸井重里氏、小飼弾氏はじめネット上でも反響続々」ともある。今どき、こうした名前が、どういう層を惹きつけうるのか。

 書かれた時代が古いから、「はじめに」に引用される評論家等も、「なんとなく、ズレている」。著者はいったい、右なのか、中道(左とは言うまい(笑))なのか? 「文芸」評論家の国家論を引用されてもね~……である。敗戦後の日本の発展が、原子力「だけ」で成り立ってきたわけでもあるまい。そこに、経済論は皆無である。
 Amazonのレビュアーのどなたかも言及されていたように、佐野眞一などの、大御所の論をちびちび取っての論でもある。

 しかし、ま、それなりに、おもしろい着眼点ではあるし、他人の論考も、援用や引用のために、よく読んでいるようなので、★3つ。

 一般的な印象としては、いまの原発推進の元凶とであるかのような、元読売テレビの社長だかの、柴田なにがしのことをあげつらったような本が、中公新書ラクレ(=読売)から出るかね~? というのはある。まず、岩波新書からには絶対に出ない内容と文章力である。

 著者が用いる「スイシン派」「ハンタイ派」という図式こそ危険視すべきだし、著者が掲げる「弱者最優先」という、いまどき、そのへんの政治家でも面はゆくて言えないような言説
をこそ、疑うべきであるとも思う。

私たちはこうして「原発大国」を選んだ - 増補版「核」論 (中公新書ラクレ)Book私たちはこうして「原発大国」を選んだ - 増補版「核」論 (中公新書ラクレ)

著者:武田 徹
販売元:中央公論新社
Amazon.co.jpで詳細を確認する


« 2011年8月 | トップページ | 2011年10月 »

最近のトラックバック

無料ブログはココログ
2020年6月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
フォト