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2012年2月

2012年2月22日 (水)

『下谷万年町物語』──ファッションとしてのオカマ

『下谷万年町物語』唐十郎作、蜷川幸雄演出@シアターコクーン 出演:宮沢りえ+藤原竜也+西島隆弘(2012/1/6(金)〜2/12(日))

 唐十郎の芝居は、状況劇場も唐組も唐組ゼミも観たが、パルコ西武劇場で30年前に上演されたという本作は、当時未見だった。脚本は、あいも変わらず、唐十郎の個人的ノスタルジーの世界と、でたらめな言葉の羅列である。それでも、それが肉化すれば、何物かに変わる。芝居の醍醐味はそんなところにある。蜷川幸雄はそのへん、プロデューサー的策士で、巷で人気の鑑賞に耐える肉体を担ぎ出してきては、アングラだの古典だのをやらせる。話題にならないワケはない。とくに今回は、宮沢りえ+藤原竜也+西島隆弘+たくさんのオカマである。人々はこぞって見物にでかけるだろう。
 確かに宮沢りえは、野田秀樹の『ロープ』の頃に比べると、格段の進歩である。声はすっかり、李礼仙である(笑)。パワーも李礼仙が乗り移ったかのようである。李礼仙を知らないジャーナリストは、すっかり感動してしまうようである。しかし、昨年上演された、唐ゼミの『万年町』の、同じ、キティ瓢田を演じた女優も、誰かがブログで、「李礼仙を超えた」と書いていたから、この役は、パワーさえあれば、誰でも魅力的に見える、お得な役なのかもしれない。私はむしろ、藤原竜也と西島隆弘の立ち姿の美しさと演技力に感心した。これからが楽しみな役者たちである。蜷川に使い古されないといいけれど(笑)。
 昭和23年の上野の男娼長屋を再現(?)した朝倉摂の装置と、洗練された吉井澄雄の照明は、さすがにBunkamura、コクーンであると思わせられる。(2012/2/9に観劇)

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「お写真」は、雪の日に遊ぶわん太。

Asobe


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2012年2月19日 (日)

『ドラゴンタゥーの女』──原作より知的

『ドラゴンタゥーの女』デイヴィッド・フィンチャー監督

 デイヴィッド・フィンチャー監督は非常にセンスのいい監督である。いつものことながら、音楽がすばらしく、オープニングもなにか新しいものが始まる予感に満ちたもので、この時からもう観客はドラマの世界に入っている。前作『ソーシャルネットワーク』に続いて、ヒーロー(ヒロイン)は、身体的には小柄、痩せていて、腕力のなさそうな外見である。しかし、知性と度胸を武器に、どんな屈強な相手も打ち負かしていく。その胸のすくような展開は、ミステリーの興味とともに客を物語の深みに連れて行く。
 「女性と友情を共有できる俳優」として選ばれたダニエル・クレイグの、女性にはだらしないが、仕事では厳格な倫理観を持っている姿もどこか清新である。それに北欧の冷たく澄んだ空間と、高度福祉社会が隠蔽する「女性への虐待」。フィンチャーは映画的に、新しい題材を求めて、あえて、すでに本国で2年前に映画化されている作品を映画化したように思う。
 原作のもったりとした、陰湿な文体を、フィンチャー自身の知的ですっきりしたスタイルで整理している点も注目された。
 その彼の意図に、タイトルロールのルーニー・マーラの機敏で知的な演技が完璧に答えた。

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 「お写真」は、昨日の雪夜の散歩(@福岡)を喜ぶ、わん太。


Yukiyo120218_3


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2012年2月15日 (水)

『無言歌』──ぎりぎりの生存の美しさ

『無言歌』ワン・ビン監督(2010年)

 文化大革命時代の悪が、しだいに正面切って描かれるようになっている。本作は、反右派闘争、つまり、毛沢東率いる中国共産党が、インテリや資本主義的な思想を持っている人々を、「右派」=敵として、一掃しようとした「闘争」の結果、強制収容所へ送られた人々の生、あるいは、死を、描いたものである。
 彼らは甘粛省、モンゴルとの国境に拡がる砂漠地帯へと送られ、強制労働に従事させられているのであるが、食べるものもろくにない。しだいに弱って死んでいくだけであるのであるが、それでも人間として威厳を保とうとしている人々もいる……。ここには、「最低の生活」さえない。生活などという贅沢品は存在しない。あるのは、ぎりぎりの生存である。しかし拡がる空、大地の、なんと美しいことか。過酷な美しさ。美しいといっては不謹慎なのかもしれないが、せめて、死者たちの鎮魂のために、その美しさを記録したい、そのような願いが込められた映画とみた。

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