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2012年2月19日 (日)

『ドラゴンタゥーの女』──原作より知的

『ドラゴンタゥーの女』デイヴィッド・フィンチャー監督

 デイヴィッド・フィンチャー監督は非常にセンスのいい監督である。いつものことながら、音楽がすばらしく、オープニングもなにか新しいものが始まる予感に満ちたもので、この時からもう観客はドラマの世界に入っている。前作『ソーシャルネットワーク』に続いて、ヒーロー(ヒロイン)は、身体的には小柄、痩せていて、腕力のなさそうな外見である。しかし、知性と度胸を武器に、どんな屈強な相手も打ち負かしていく。その胸のすくような展開は、ミステリーの興味とともに客を物語の深みに連れて行く。
 「女性と友情を共有できる俳優」として選ばれたダニエル・クレイグの、女性にはだらしないが、仕事では厳格な倫理観を持っている姿もどこか清新である。それに北欧の冷たく澄んだ空間と、高度福祉社会が隠蔽する「女性への虐待」。フィンチャーは映画的に、新しい題材を求めて、あえて、すでに本国で2年前に映画化されている作品を映画化したように思う。
 原作のもったりとした、陰湿な文体を、フィンチャー自身の知的ですっきりしたスタイルで整理している点も注目された。
 その彼の意図に、タイトルロールのルーニー・マーラの機敏で知的な演技が完璧に答えた。

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 「お写真」は、昨日の雪夜の散歩(@福岡)を喜ぶ、わん太。


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