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2012年5月

2012年5月23日 (水)

『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』/『裏切りのサーカス』

『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』(ジョン・ル・カレ著、村上博基訳)

 ジョン・ル・カレの文体は、語学が得意な著者の例に漏れず、使われる言語が多彩で意識的であり、エンターテインメントでありながら、ときに言語そのものの表層に意識が行き、それを、主人公のスマイリーを思わせる沈着さで抑制している。だが、会話に関してはかなり自由に滑り込ませており、それが、現実の会話であれ、頭の中の会話(思考)であれ、モノローグであれ、とくに書法の区別をつけていない。そういう作者であるので、読者は、ただストーリーを追っていればいいというわけではない。表現は洗練されている。そういう小説を訳すとなると、一筋縄ではいかないことになる。本訳書は、全体として、それほど悪いできだとは思わない。ル・カレの文体をまあまあ伝えているし、登場人物たちのキャラクター、とくに、主人公スマイリーのクールな内面も十分に伝わってくる。
 ほかのレビュアーが指摘している、536ページの「ジム」は、確かに、「ビル」の誤植で、原作通り、ビルのファミリーネームのローチとすれば、間違えるはずもないので、これは、訳者が、ジムとビルを間違えたとしか思えない。しかしまあ、「ここは誤植だな」とすぐわかる箇所なので、べつだん「感動が台なし」とも思わない。そういう細かな点を言い出したら、キリがないのである。たとえば、原作は、39章まであるが、どういう理由か、翻訳は、38章で、39章の文章はそっくり、一行あきによって、「一等のコンパートメントの……」(P533)から始まる文章を挿入している。しかし、どこか省略されているわけでもないようだ。
 他のレビュアーが問題にしている「幻影」(illusion)であるが、この言葉は、スマイリーの属性を表す、illusionlessという言葉と対で重要な言葉である。ロシア側の情報組織を牛耳る宿敵カーラが、スマイリーのことを大した人物だと言っていたと、「もぐら(二重スパイ)」(訳書中では、人物名)が言う。そのときの引用として、

 The last illusion of the illusionless man.

という。そして、そのThe last illusionは、すばらしく美しいスマイリーの妻だと言う。つまり、illusinlessとは、幻想を抱かない冷徹な思考の持ち主という意味であり、ここは、「幻想を抱かない男の最後の幻想」と訳すべきだと思う。

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『裏切りのサーカス』トーマス・アルフレッドソン監督

 トーマス・アルフレッドソン監督は、原作を組み立てなおし、映画的言語のなかで、語り直すということをしている。しかし、ジョン・ル・カレが目指した、知的な情報戦を洗練された文体で語るという作品世界は受け継いでいるように思う。
 わけても主人公スマイリーは、文章で読めば、いくら、短足で腹が出たと表現されていても知的で冷静沈着であることはよく伝わってきてくるが、これが視覚となると、もう少し華やかなものがほしくなる。そこを、スマートな体形で、端正な風貌のゲーリー・オールドマンに配役することによって、クラシカルで静謐な風景のなかに、匂いたつような初老の男を登場させている。
 オールドマンの抑制のきいた演技は、ル・カレの、単なるエンターテインメント以上の小説を目指した意識的な文体によく合致している。
 クラシック音楽の楽器を存分に使用した、アルベルト・イグレシアスの音楽も深い魅力を添えている。

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「お写真」は、家人撮影、うちのわん太によく似た、ギリシアのわんこ。


Gwanta2w


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