« 2013年2月 | トップページ | 2013年4月 »

2013年3月

2013年3月31日 (日)

『千年の愉楽』──中上健次が泣く

『千年の愉楽』若松孝二監督

 結局なんでも「ピンク映画」にしなければ気がすまなかったのか。中上健次ほどピンクとはほど遠い作家もいないのに、いったいなにを思って映画化したのか。『千年の愉楽』のオリュウノオバは、どう考えても老婆だと思っていたのに、そして、いくら回想シーンだからといって、寺島しのぶを起用した考えもわからない。しかもドラマは単純に一本線のように進んでいき、奥行きがまるでない。いくらなんでも、これでは中上健次が泣くし、ラストの「オチ」みたいなシーンでは、泣くのを通り越して、のけぞる(笑)ノノかも。どうか、天国で、中上に、殴られないようしてください(合掌)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年3月28日 (木)

幻想的な夜桜

桜はライトアップされると、妖しげな雰囲気になって、なかなか風情がある。で、わざわざ昨夜に出かけてみた。福岡城趾は、「さくら祭り」で盛り上がって、縁日のような屋台も出ている。でも、城内は、しっとり静かな、さくらの散歩道になっている。(遠くからみたら)エッフェル塔のような、天守台に作ったオブジェのせいか、天守台には、300円払わないと登れない。去年はタダだったのに。市役所の役人のアイディアか。評判はよくないから、来年からは廃止されることを祈る。

Photo
_1

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年3月23日 (土)

犬的お花見

福岡城の桜は、昨日(3/22)、満開宣言して、今日は、朝方は曇っていたけど、昼頃には日が差して、まずまずの「花見日和」となり、犬的に、お花見を楽しんだ。

Img_4104

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年3月14日 (木)

『聖書考古学 - 遺跡が語る史実 』──真の意味での世界史入門

『聖書考古学 - 遺跡が語る史実 』長谷川修一著(中公新書、2013年2月刊)

 「歴史」というものは、意識的な時間の設定方法である。そして、あまりにもあたりまえの西洋思想の基礎としての「聖書」さえ、意識的な文書の寄せ集めにすぎない。それを、既存の文書を解釈する観念論として展開しているのではなく、具体的な事実を発掘することで、証していく──。そして、その文書の本来の意味も考えていく。そういう学問的アプローチを紹介した本であるが、かなりスリリングで、読んでいて興奮する。こういう資料をもとに、思考を組み立てなおすことこそ、真の意味での「世界史入門」であると考える。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『世界基準で夢をかなえる私の勉強法』──Success is a choice

『世界基準で夢をかなえる私の勉強法』北川智子著(幻冬舎、20132月刊)

 本書の前に、新潮選書から出た、同著者の、『ハーバード白熱日本史教室 』は、サンデル教授のベストセラーに便乗した題名といい、著者の学問の日本史と著者自身のキャリア紹介が混じり合った、「ひどい編集」の本であった。これは、著者にも責任があるのかもしれないが、まあ、編集者も悪いのでしょう。どうも新潮選書は、小谷野敦氏の『日本人のための世界史入門』といい、「玉石混交」の、石の部分がひどすぎる。ほとんど、本とは言えない内容のものまで、無理やり本という形にしてしまっている感がある。

 その点、本書は、著者がいかに、外国の大学でキャリアを築いていったかが、その勉強方法を中心に、具体的に詳細に披露されている。誰しも、このような若さで、自由に学問を謳歌できたら、と心からうらやましくなる。しかも、それが女性であるなら、いろいろ「ねたみ」のレビューもあるだろう。いかに、アメリカの学会で注目されていない(学問の分野、学者の数から考えたら、あたりまえであるが)と声高に書いていらっしゃる「海外で学位をとった」(それが、本著者と同等のキャリアと言えるのか?)と書かれているレビュアーの方がいるが、本人がどう弁解しようと、やはり「ねたみ」の一変形には変わりないだろう。ただ単純にうらやましいと思うか、変にねたんでみせるか。どっちみち、普通ではなかなかできないことだから、このような本になるのだし、人々は関心を持って、いかに、そのキャリアを達成したのか知りたいと思うのだろう。

 本書の中心は、著者の独自な、そして、われわれも見習うことのできる、勉強法であり、学問に対する態度である。そして、アメリカの大学および大学院が、いかに勉強量をこなしていかなければ卒業できないかという内容が、手に取るように公開されている。これに比べたら、日本の大学や大学院はほんとうに甘い。三流大学の修士論文(文学系の)など、読書感想文である。

 それと、著者の研究内容のユニークさである。著者が、アメリカで、わざわざ日本史を専攻したのは、学問のメソッドがすぐれているからだと思う。そしてなぜ、著者が注目されたのかと言えば、もとは数学専攻であったということも関係していると思う。数学的な方法論で歴史に取り組むというやり方が、これまでの歴史学者にはない、新しいアプローチである(そこには、コンピューターを使ったものも含まれる)。本レビューのタイトルは、リック・ペティーノ氏の、『成功をめざす人に知っておいてほしいこと』(ディスカヴァー)の原題から取った。「成功は選択である」。まさに、それを地でいっているのが北川智子氏である。彼女の作った、自身の履歴グラフ(この点も理数系である)を見ればわかるとおり、節目節目で、「選択」がポイントになっている。「プリンストンで博士号」を看板に、日本での仕事もいくらもあったと思われるが、北川氏はそれを選ばなかった、というわけである。

 そして、この「世界基準」であるが、世界を意識して学問していくということである。そこを「世界的に有名」と勝手に読み違えて、ケチをつけているレビュアーがいる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年3月 5日 (火)

『日本銀行は信用できるか』──徹底した「日銀研究」は、『田中角栄研究』に匹敵するかも

『日本銀行は信用できるか』岩田規久男著(講談社新書、2009年8月刊)

 安倍晋三支持でもなく、経済学に詳しいわけでもないが、岩田規久男氏の著書(一般向けの新書など)は、構成、説明が冷静かつ論理的で、素人にもわかりやすいので、巷の経済論のベーシックとして愛読している。氏は長年、今の日本の経済危機に関して、氏なりの見解を、新書などで説明し続けている。

 世間では、エコノミストと名のつく人々が、あるいは、名のつかない、いったいどういう資格で書いているのか、よくわからない人々までもが、今の日本の経済的状況に関して、いろいろ本を出している。そんななかで、著者が、日銀副総裁の候補にあがっているということで、あわてて、積ん読棚に置いてあった本著を読んでみた。読んでみてびっくりである。

 日本銀行の意志決定を行う人々が、「前例主義」によって、東大法学部卒で、しかも、大蔵省(財務省)にトップに近い成績で入った人々に限られている。しかし、経済学に関しては、専門的知識もキャリアも持っていない。日銀法によって、決定権のある、総裁、副総裁(2名)、審議委員(6名)は、「経済又は金融に関して高い見識を有する者その他の学識経験者」と決められているそうだが、それにもそっていないこと。その日銀法は、妙な独立性が保証されていて、政府が関与できないこと。……

 これらは、欧米の中央銀行からは、考えられないことらしい。また、問題の、デフレ脱却のための金融緩和も、欧米の中央銀行では、当然の政策として取られているいるのに、わが日銀では、「前例主義」のため、それさえも、簡単にはできないこと。

 今、世間は、反リフレ派だの、反アベノミクス派だの、かの、野口由紀雄センセイをはじめ、かまびすしい。野口氏の『金融緩和で日本は破綻する』みたいな新刊が出ているが、目次をざっとみたかぎり、なんら有効な結論は出していないし、目次だけではなにを言いたいかわからないようになっている。

 本書は、単に声高に、日銀を改革し、2%程度のインフレを目指すべきだと主張しているだけでなく、難しい経済理論を、すっきりとまとめてもいる。従って、これ1冊でおおかたのことがわかるだろう。4年近く前の本ではあるが、今でもなんら時差は感じられない。状況はむしろ、本書の必要性を示している。とくに感心するのは、徹底した「日銀の研究」である。この執拗さは、立花隆氏の『田中角栄研究』に匹敵するかも。岩田氏の具体的な「日銀研究」に比べたら、野口由紀雄氏が日銀に関して述べていることは、抽象的な論議のように見える。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年3月 1日 (金)

『ぼくの住まい論』──「論」はいらない

『ぼくの住まい論』内田樹著(新潮社、2012年7月刊)

 「論」と銘打つからには、普遍化されていなければならず、普遍化とは、いかなる人も、その考え方を応用できなければならない状態をいう。本書を読んでわかるのは、著者は、文筆で世間的に名前が売れて、現代思想などという若者があこがれるような分野が専門であるが、一方で、日本古来の武術の師範でもある。慕ってくる人々も多く、彼らをあまねく受け入れる、道場兼住まいがほしいと思っていた……。そういう「よきことを考えている」と、どこからか、資金や手助けしてくれる人々が集まってくる……。しかし、これが、ハワイにコンドミニアムがほしいというような個人的な欲望だったら、これほど人は助けてくれなかったと思う……。と、著者は書いている。私はこうした論理には胡散臭さを感じる。よき内容であることの判断は誰がするのか? 自由とは、ハワイにコンドミニアム、だろうが、おおぜいの若者がやってくる道場だろうが、その欲望は同じものであると思う。

 果たして、神戸だかどこだかの駅付近に建てたこの建物が、土地+建築費で、いくらかかったのか。「すまい論」の読者が知りたいのはそこである。しかし、数字に関する言及は、どう本をひっくり返してもいっさいなし。書かれているのは、著者の幸福の記述のみ。そりゃ、誰だって、みんなが慕ってきて、若い奥さんをもらって(笑)、楽しく和気藹々と暮らしたいですよ。

 著者の「はしゃぎすぎ」の文体は、そろそろ、こういう時代には、鼻についてきませんか?>レヴィナスさん。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2013年2月 | トップページ | 2013年4月 »