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2013年4月

2013年4月25日 (木)

『国境のインテリジェンス』──「教科書勉強」だけではどうしようもない

『国境のインテリジェンス』佐藤優著(徳間書店、2013年3月27日刊)

私はこの著者の勉強法の本には感心し、Amazonレビューでも★五つをつけていると思います。そういう著者であったし、タイトル、見出しにも大変興味深いものがありましたので、本書を見るや、即購入しました。しかし、読み始めて、疑問が頭をもたげ、大変残念に思いました。

1,P17 著者は、アベノミクスの理論的支柱、浜田宏一氏の著書を引用(その部分は、岩田規久男氏など、私が信頼をおく学者も書いている、ごく一般的な、金融緩和の考え)、「この記述を読んで、筆者は背筋が寒くなった」とあるが、なぜ? という経済学的な説明はなく、すぐ、べつの話に切り替わっていった。

2,P19 著者は、安倍政権の内閣官房副長官補をつとめる、兼原信克氏の著書を引用、宗教改革がイタリアから始まったは、間違いと指摘、フスはスフと誤記されていることを指摘。それはいいが、実は、もうひとり名前が書かれている宗教改革者、サヴォナロラ(Girolamo Savonarola)も、「サヴォローナ」と誤記されているが、これについての言及はいっさいない。つまり、著者の「勉強」は、宗教の歴史も、「通説」と「教科書」だけに頼ってきた感がある。宗教改革は、ルネッサンスの一部として始まったので、著者の言うように、イタリア発祥説は、とくに「珍説」ではない(参考文献『ミケルアンジェロ』羽仁五郎著、岩波新書)。

3,P24 著者は、経済理論として、野口悠紀雄説を頭から信じ、「野口氏の分析が正しいならば、現在進行中の円安は、崩壊の序曲なのである」で、「アベノミクス指南役たちの危うさ」という章を終えている。野口説は、金融緩和に反対で、金利をあげろ!であるが、金利が上がって生活の支えができるほどの預金を持っている「一般庶民」がどれだけいるのか、考えれば、この説の「抽象性」がわかろうというもの。

 第1章にあたる章で、以上のようなことにひっかかり、これ以上、本書を読み進むのは時間の無駄だと思いました。

 ただの「教科書の勉強」だけではどうにもならない証左でした。教養は、まっとうな古典を読むことでしか築けないとつくづく思いました。また、インテリジェンスも、古典力なしに、分析は不可能だと思います。

 ちなみに、私は、安倍政権はとくに支持していませんが、やっていることは世界の常識に沿っているのかなあ……程度の感じは持っている。

 本書の初出が『週刊アサヒ芸能』だと知って、「なるほど……」と思いました。一事が万事ですので、こういう本を出してしまうと、もう著者を信じるわけにはいかなくなります。ご用心!

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2013年4月13日 (土)

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』──読まずにすませろ(笑)!

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』村上春樹著(文藝春秋、2013年4月15日刊(と、奥付には印刷してある)

 3月中に、題名が発表になり、題名を見て、「巡礼の年」という言葉に大変想像力を刺激された。本書の中でも言及されていたが、リストの「巡礼の年」を思い出したし、本書ではなんのほのめかしもなかったが、リルケの詩「巡礼の巻」を連想したからだ。しかも「巡礼」→十字軍という事柄さえ思い浮かべたが、そういう高尚なものとはまったく無縁で、著者には、そのような教養、古典の下地(したじ)もないようだった。

 簡単に言えば、本書は、"毎度の"ストーリーでのみできあがっている(400字詰原稿用紙換算、700枚前後)。

 主人公、多崎つくるが、大学の2年に、高校時代からの親友4人から、理由を明かされないまま絶交を言い渡され、死を考える。そんななか、後輩の男と知り合い、リストの「巡礼の年」と、それにまつわるエピソードを知る。以上のような経歴を、小説の現在である時間の恋人に語って聞かせ、彼女の勧めと協力で、なぜ多崎が4人の友人に絶交されたかを探っていく。あいだにはさまれる、「行方不明」「殺人」。推理小説のようには、犯人も理由も明かされない。それは、あくまで、物語をミステリアスにするための装飾である。

 ちなみに、高校時代の4人の親友の名前が、白、黒、赤、青、という文字が名字に入っているが、これは、中国神話の四神で、司っている東西南北を表す色である。これは、小説(庄司薫とか(笑))やゲームなどに、結構使われている。そして本書では、やはり思わせぶりの装飾の域を出ていない。

 小説が文学であるためには、それが事実であるかどうかという意味ではなく、リアリティというものが必要である。また、エンターテインメントであるためには、該博な知識が必要になってくる。本著者のように、ただ感覚的なものだけで押していくと、なにを語っても抽象的になり、数作はそれでもいいかもしれないが、やがて、自己模倣の隘路へと入り込んでいく。日本の文壇からは完全に無視されている著者であるが、ただバカ売れしている書き手に対する嫉妬からだけとも言い得ない。このような「お話」は、文学とは言えない。ただそれだけである。

 それにしても、大学生にもなって、高校時代の仲間に絶交されただけで、死を考え、結局それを実行できない人物というのは、昨今、追い詰められて、どんどん死んでしまう小中学生が存在する現実に対して、どうなんでしょう? 著者はニュースすら見ていないのかもしれないと勘ぐってしまう。

 綿矢りさは、十代で女子高校生の世界を描き注目されたが、十年経った今も、女子高校生の世界を描いている。このぶんで行けば、十年後も描いているかもしれない。同様に、とうに還暦すぎた村上春樹が、いまだ、高校時代の人間関係で傷つき死を考える青年を描いているのを見ると、これは、70歳になっても、こういう世界を描き続けるのかな、と人ごとながら思う。まあ、行けるところまで行ってください(合掌)。次は、どのような興味深い題名でも、Amazonで予約をしてしまうという愚は犯さないようにしますから。

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2013年4月 8日 (月)

小林秀雄と河上徹太郎の対談(季刊『考える人』 2013年 05月号付録のCD)──今こそ必要な小林秀雄

 小林秀雄と河上徹太郎の対談CD(季刊『考える人』 2013 05月号付録、新潮社、201344日刊)

 「本を読もう!」みたいな本が巷に出回っている。それも、ビジネスで成功した人であったり、世の中をうまく渡ってきたような人々が書いた本だ。考えてみれば、あえて本を読もうなどということ(だけ)で本が書けるほど、本を読むことは特別なことになってしまった。しかもこれらの人々の提示する本は、大部分が読み捨てのような本であり、なんら訓練なしに読めるような類の本である。それらを何千冊読もうと、教養ある人間を作りはしない。

 小林秀雄は、重要な古典を読んでいることが自明の下地(したじ)であった時代においても、常に問題を投げかける論客であったが、今の時代も、氏の思想は重要である。いや、今こそ、小林秀雄を再読すべきだと思っている。そんな小林の、一般の若者に向かって語りかけている講演CDは、何度聴いても発見することがあり、聴き飽きるということがないが、本書の一番の価値である、付録のCDに収録されている河上徹太郎との対談は、60年来の友人同士の闊達なやりとりで、べつの魅力に溢れている。ほろ酔いかげんでもポイントは外さず、深い問題提起、引用が次々なされ、どんなエラい大学教授の講義よりも中身が濃い。

 小林秀雄の語りは、何度聴いても、発見することがあり、また、自分だけに語りかけてくれるような暖かみも感じられる。真の教養人とはこのような人々だと納得させられる。小林秀雄の語りには天才的な華麗さがあるが、河上徹太郎の抑制の効いた「受け」もすばらしい。もうこのような人々はどこにもいなくなってしまったと思うと、たまらなく寂しい。

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