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2013年5月29日 (水)

『abさんご』──後半「楽屋」が見えてくるのが惜しい(笑)

『abさんご』(黒田夏子著、2013年1月、文藝春秋刊)

 私は本作を読んで、すぐは、「紫式部日記」のような日本語の清逸な世界を感じさせて、なかなかよいと思った。まず、導入部など、唐突なはじまりがよいし、a地点からb地点という、説明のない抽象性は、言葉そのものの手触りを感じさせて、さすが、蓮實重彦の選んだ作だと思った。まず、蓮實氏は、「日本語を私に教えてくれる作品、どきどきさせてくれるものを望む」と、早稲田文学新人賞の選考委員を務めるにあたって表明していた。それにかなう作品だという印象を持った。

 しかし読み進むうち、書き手がその抽象性に耐えられず、しだいに、物語が「透けて見えて」しまう。これは、幼くして母を失い、初めは家政婦として来た女が父の後妻におさまり、主人公の少女(=私)は、自立を余儀なくされる、ルサンチマンの物語。固有名詞はいっさい使わず、これだけのものが見えてしまうのである。こういったスタイルは、フランスの作家、ナタリー・サロートを思わせるが、サロートなどは、そういう状態で、数百ページを書いてしまう思想の強靱さがある。が、この作者は持続できず、変換可能な物語へと収束してしまう。

 また、横書きの表記はいかにも、現代にかなっているようだが、石川九楊が『縦に書け!――横書きが日本人を壊す』(祥伝社新書310)で言っているように、英語がアルファベットが横に、筆記体で続けて書けるような生理を内包しているように、日本語は、縦に続けて無理なく書けるような生理を含んでいる。それをことさら、(PC画面ではない)紙の上でも横に書くということは、アルファベットを縦に書くようなものだ。

 それが、みやびな文体と相矛盾して、その矛盾が「新しいスタイル」と言えるのかどうか。この著者は、実は、この「デビュー作」以前に、おそらく自費出版ではないかと思われる著書、『累成体明寂』があり、たまたま、早稲田文学の新人賞の選考委員を、蓮實重彦が担当することになり、おそらく周辺ではすでに知られたヒトだったのが、それを「狙い撃ち」したのではないかと、私などは推測する。まあ、だからといって、慶賀すべきことに変わりはないのだが……

 しかし、このヒト、その後の作品は、どのように書いていくつもりなんでせう(笑)?

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