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2013年8月

2013年8月21日 (水)

『浄瑠璃を読もう』──その前に、ドナルド・キーンを読もう

『浄瑠璃を読もう』(橋本治著、2012年7月、新潮社刊)

 ドナルド・キーン氏は、近松門左衛門『国姓爺合戦』の研究論文で、コロンビア大学で博士号を取得してる、いわば、近松の大家である。氏は、題材こそ日本文学であるが、その方法論は、厳密な欧米のメソッドを基礎にしている。その氏の『日本文学史 - 近世篇二 』(中公文庫)は、信憑性のあるデータを駆使、かつ明記して、浄瑠璃の発生から、発展まで、詳述している。それを読めば、橋本治が本書で書いてる説明等は、まったくのでたらめとは言わないまでも、まあ、「テキトー」であることがわかるだろう。しかも、橋本流のパフォーマンスが付いている。江戸時代に書かれたものを無理矢理、現代に置き換えて「言い切って」しまうのも、氏の悪癖(笑)である。

 確かに、着眼点は言い。しかし、これは、あくまで、橋本治の「ショー」であることを心得ておかないと、そののち大変なことになってしまう。話半分、どうぞ、ショーをお楽しみください、である。無知蒙昧の読者に向けて書いているのか、蒙が啓かれたなんて思ったら大間違いである。

 なお、小谷野敦氏が、以下のようなクレームをレビューしておられる。

 「「菅原」「千本桜」「忠臣蔵」の三つが、竹田出雲、並木千柳(宗輔)、三好松洛という、三人の優れた劇作家が書いた、とありますが、「菅原」は初代出雲、あと二つは、はじめ小出雲といった二代出雲でありますから、三人ではないのです。連載中から指摘していたのですが遂に直らなかったのは残念です。一般には宗輔が中心となって書いたとされます」

 どうして、なにを根拠に、以上のような絶大な自信を持って断言できるのかわかりませんが、江戸後期の浄瑠璃は、長大さと複雑さを増し、共同執筆が普通のようで、上のキーン氏の著作では、

『菅原伝授手習鑑』竹田出雲、三好松洛、並木千柳、竹田小出雲(二代目出雲)

『義経千本桜』竹田出雲(二代目)、三好松洛、並木千柳(宗助)、

『仮名手本忠臣蔵』同上

 としているから、ここは、橋本治の方が正しいのでしょう。間違いだと、「間違いで指摘」されても、直せないでしょう、編集部は(笑)。

 江戸時代の浄瑠璃作者は、今日の単行本作者のように明確に名前が著作に印刷されているわけでなし、十返舎一九の『忠臣蔵岡目評判』などに書かれた合作者の分担などをもとに判断するほかないらしい。

 芝居の世界は、さまざまな人々が入り乱れているかなり複雑な世界で、浄瑠璃を文学にしたのは、近松門左衛門だが、そののち、竹田出雲などが出て、これまた、違ったパフォーマンスにしてしまっているわけで、まあ、橋本氏のように、「明快」には語れない世界なのである。

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2013年8月17日 (土)

『カラマーゾフの妹』──ドストエフスキーの褌で相撲をとった作品

『カラマーゾフの妹』高野史緒著(講談社、2012年8月刊)

 エンターテインメント系の賞に、芸術的な発想で挑戦する態度は、かなりの期待を感じた。選考委員も、その大胆不敵さに、一票を投じてしまったようである。しかし、同じような、脱構築系のスタイルを持つ、京極夏彦氏と、地道な警察小説の今野敏氏は、厳しい評価をしていたと思う。ことに、今野氏は、本作をまったく認めていなかった。それでも、私は、本作者の意気込みには、どこかやられた感があったので、読み進んだ。しかし、結局、期待は外された。というのも、本作は、いい訳とは思えない、亀山訳をもとに、それを通してのドストエフスキーを土台にしているからだ。しかも、わざわざ枚数を稼ぐような持って回った余分な説明、描写も多い。そして、結末は、なにかはぐらかされたようである。つまり、本書は、ドストエフスキーの褌で相撲を取り、それを取ったら(笑)、なにもないといった作品である。いや〜、まったく残念である。また、作者の「私は文学作品をいっぱい読んでいる、文学に通暁しているプロなのだ」という臭さも、全編に漂っている。そこもいただけない。

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(おまけ)

『新訳源氏物語』初版の序(Kindle版)──Kindleに落ちていた宝物

与謝野晶子訳の『源氏物語』に付属してた、森鴎外と上田敏の、「序」であり、ゆえに、それほど長くないものであるが、両者とも、すばらしい。Kindle、Paperwhiteを所有しているものの、そのコンテンツも、いまいち、読みたいものが完全ではないし、ということで、「消灯後読書」(笑)用として使っていたが、この二作品には、脳みそを洗われた。ありがたい、黄金の落ち穂である。とくに、上田敏の「序」は、古典を新訳で読む意味を、奥深い段階で説いている。

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2013年8月16日 (金)

『ワールド・ウォーZ』──ヒーローの職業はUN(国連)の時代

『ワールド・ウォーZ』マーク・フォースター監督

 これまでも「ゾンビ映画」はそれなりに見ていた。「オバタリアン」という言葉のもとになった、「バタリアン」しかり。しかし、なにか科学的な原因があって、ひとがゾンビ化したという内容ではなかったように思う。本作は、なるほど、俗に「ゾンビ映画」と呼ばれるものに属するかもしれないが、過去のゾンビものとは違って、今という時代を、警告も含めて写し取っていると思う。バイトの若者店員が、勤務先の冷蔵庫などに入って写真を写し、Twetter等に投稿して喜ぶ現象も、ある意味、脳みその「ゾンビ化」ということができる。つまり、そういう時代になってしまったのである。

 病死した牛の骨粉の混じったエサを与え、「共食い」させていた牛の脳みそが狂牛病に冒されたのもしかり。それが、われわれの「ワールド・ウォー」である。

 『セブン』で、血と傷が似合う美形を証明したブラピが、本作でも、汚れ、苦しむ。しかし、どこか安心して見ていられるのは、このヒーローのせいである。かつてのゾンビ映画に、このようなヒーローはいなかった。しかも、CIAがかっこいい時代は終わって、UN(国連)である。ブラピが、CIAの職員に、「あんたは誰だ?」と聞かれ、「UN」と答えるところは、さりげなくかっこいい。そして世界は、「とりあえず」このヒーローによって、救われる。

『ワールド・ウォーZ』──ヒーローの職業はUN(国連)の時代

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