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2013年9月14日 (土)

小説『共喰い』──画竜点睛を欠く

『共喰い』(田中慎弥著、20121月、集英社刊)

 確かに、青山真治監督の映画だと、Amazonレビュー欄のどなたかも指摘されていたように、「ギリシア悲劇」を思わせる。しかし、現実生活ではあり得ないような状況、展開を見せられて、そのあまりのどぎつさに、すぐに「ギリシア悲劇」に逃げてしまうのはどうだろう? なるほど本作には、地方都市を舞台に方言が使われていて、それでリアリティがあるような錯覚にとらわれるが、果たして、日常的に父親とその愛人の性行為を見てそれにとらわれ自らもそうしてしまうのではないかと考える17歳の高校生には、どれほどの「現実性」があるだろうか?

 本作は、作家、いな、「文豪」たらんとする田中慎弥が、数々の日本名作を読んだり、日課として身の回りのものを文章でスケッチする描写の修練(だがこの「成果」は容易に、汚らしい川の描写にも見てとれる)を経て培った筆力で、巧みに巧んだ創作である。だが、なにか足りないものがある。それは、むしろ、「自分自身」である。ここには、田中本人はまったく顔を出していない。むしろそれが本作の欠いているものとなっている。そのくせ、篠垣遠馬は、などと三人称で書きながら、視点は完全に一人称のものである。

 50年以上前に、20代前半で芥川賞を取った「閣下」こと石原慎太郎の「太陽の季節」と、2012年に40歳近くで取った本作を、一概には比べられないが、どーなんでせう? ……両者、いい勝負だとは思いますが。むしろ、「閣下」の田中作品についての言及、「田中氏の資質は長編にまとめた方が重みがますと思われる」という言葉はあながち間違っていないと思われる。

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