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2014年3月

2014年3月31日 (月)

『ローン・サバイバー』──はじめてアウェイの厳しさを描ききった

『ローン・サバイバー』(ピーター・バーグ監督、2013年、121分、原題『LONE SURVIVOR』)

 本作を見ると、アメリカの軍隊は開かれ、かつ高度に組織化され、高い倫理を持ち、作戦においても精密であることがわかる。その軍隊のなかでも海軍のシールズと言えば、肉体も精神もえり抜きの兵士たちである。そんな兵士たちも、「アウェイ」においては苦戦せざるを得なかった──。

 作戦の目標地点は、アフガニスタンの山中であり、そこに隠れるタリバンのリーダーを暗殺するのが目的である。このアフガニスタンの山というのが岩ばかりでできた山で、なかなか手強い。いくら訓練された最強の兵士といえども、ふだんの訓練を上回る厳しさが待っている。たまたまの小さなアクシデントが、不運によってさらに拡大され、人間性の倫理によっても裏切られていく。「もしもあの時……しなかったら」は、あり得ない。4人のシールズは200人のタリバン兵(数もさることながら、彼らにとってこの岩山は、「ホーム」であるので、ある意味知り抜いていると言える)に囲まれ、岩場を、撃たれ、撃ち返し、また撃たれ、血みどろになりながら、血を吐きながら、決してあきらめず、瀕死の自覚もなく限界を超えて抵抗し、激しく転げ落ちていく──。そこのところを、実にリアルに描いている。

 映画は、戦争の善悪とか、人間性とか、そういった抽象的なテーマに関与しない。ただ、アウェイとはなにかを見せつける。

 主演のマーク・ウォールバーグは、題名通りの、「ただ一人の生き残り」となるが、とくに派手な演技はしない。彼のあっさりとした淡泊な持ち味が、血生臭い本作を、すんでの所で、清らかなものに変えている。

2014年3月29日 (土)

『MUD マッド』──「スタンド・バイ・ミー」ふたたび

『MUD マッド』(ジェフ・ニコルズ監督、2012年、130分)

 映画館から出るとき、思わず、ベン・E・キングの、「すたーん、ばい、み~、すたーん、ばい、み~」が口をついて出た。

 リバー・フェニックスを彷彿とさせる少年、ネックボーンと、エリスの友情。しかし、主演は、フェニックス似のネックボーンではなく、繊細な心を持つ少年、エリスである。

 アーカンサス州の川辺の田舎町のボートハウス(ちょうど、宮本輝の『泥の河』のようだが、まったくの船でもないようだ)で父母と暮らす14歳の少年エリスが、友だちのネックボーン(孤児で女癖の悪い叔父なる男と暮らしている)と、川の島の、大水の時に木の高みまで引き上げられ、木に引っかかったままのモーターボートを見にいって、そこに棲み着いているワケありの男(彼もその街の出身者)とのふれあいを描いた作品だが、そのふれあいを通して、エリスは、おとなの世界を知っていく。その知り方が、紋切り型ではない。人間というものは、割り切れない感情に振り回され、愛もすれ違う……。そういう微妙な心の世界が、少年らしい冒険と純な心の発露を盛り込みながら描かれる。近年は、アメリカ映画も地方の時代で、いろいろな地方を舞台に映画が撮られるが、なにせアメリカである、広いからその規模がすごい。どこか懐かしさを漂わせながら、実はよくは知らない地域がどんどん出てくる。本作もそのひとつである。

 いくつかの愛が、物語の基盤をなす。離婚話が持ち上がっている父母、島に隠れている男と街のモーテルで暮らす女、やはりその男と、その男の父親代わりのような老人、その老人と彼の過去のなかでしか語られない妻、14歳のエリスが恋する年上の女子高校生……。それらが、結局のところもつれ合う。そのもつれ合いを、安易に収拾せずに描いているところが純文学的でもある。

 それにしても、「映画.com」の「評論家」は、本作の解説を、どんな具体的な事柄にも言及せず、ただ抽象的な言辞に終始しているのだが、こんなんで、「原稿料」とか払われているんですか、「映画.com」さんは?

2014年3月25日 (火)

けふの模写


ボッティチェリ的なるものを求めて。

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2014年3月17日 (月)

『ダラス・バイヤーズクラブ』──美しい男二人が挑んだ汚れ役

『ダラス・バイヤーズクラブ』(ジャン=マルク・ヴァレ監督、2013年、117分)  1980年代のエイズにまつわるハナシを、なんで今更という感じがする。しかし、じっくり見てみれば、焦点は、非合法のクスリを配布する手段としてではあるが、「ビジネス」に当てられている。確かに、80年代に映画化されれば、ちがった切り口であったろう。  主役のマシュー・マコノフィーが、20キロ減量したというのが話題だが、物理的に肉体を変えてしまうアメリカ型演技もいいかげんにしろよといいたい。しかし、このマコノフィー、昔は、おっとりしたおぼっちゃま的いい男のイメージだったが、近年は、ワイルド感を爆発させて、こっちの方が「地」に近いのか。  カウボーイ、ゲイ、クスリ……。どこをとっても、きれいとは言えない、マッチョの汗臭さと、女装のゲイのグロテスクな世界を、マコノフィーとジャレッド・レトという、二人の、きれいな男が演じたのがなにより本作のエンターテインメント的価値である。やはり、役者は見られてナンボ。美しい男二人が、挑んだ汚れ役。それで、オスカーがとれた。よかったネ。ま、そういうのも、映画の一つの魅力かな、と、それだけの映画のような気もする。

2014年3月13日 (木)

『ミスティック・アイ』──日本人には理解されにくい作品

『ミスティック・アイ』(D.R.フッド監督、2011年、イギリス、85分。原題『Wreckers』)

 2011年の作であるが、ベネディクト・カンバーバッチの人気に当て込んでか(邦題もそこからつけられたようだ)、いま、芸術系の小さな映画館で上映されている。

 しかし、主役は、カンバーバッチの妻役の女性である。本作は、デンマークで評判となった『ある愛の風景』のリメイクであると思われるが、ハリウッドでもリメイクされていて、オリジナルは観ていないものの、ハリウッド版は、ナタリー・ポートマン、トビー・マクガイア、ジェイク・ギレンホールのキャストで、『マイ・ブラザー』という題名だった。

 マイ・ブラザーというとおり、兄弟の話である。アメリカ版では、兄(トビー・マクガイア)が戦争に行っていて、その妻(ナタリー・ポートマン)の留守家庭を助ける弟(ジェイク・ギレンホール、妻から見れば義弟)と仲良くやっているところに、突然兄が戻ってくるが、兄は以前の兄とは性格がまったく違っていて、妻も弟も混乱する、という内容であった。

 イギリス版は、戦争から戻って、突然訪ねてくるのは、弟の方で、教師の兄(カンバーバッチ)とその妻が振り回されるというストーリー。両作が共通しているのは、兄にしろ弟にしろ、戦争(現代の戦争)に行っていた者は、精神に変調をきたしているという点である。アメリカ版は、ただそれけで、そこからいろいろな問題が生じ、登場人物たちの葛藤が描かれるが、やがて、救いの道が見出される。

 イギリス版は、戦争でトラウマを負った者に加えて、親による虐待問題が加わっている。つまり、戦争から帰還した弟は、親による虐待のトラウマをすでに背負っていた。そして、迎える、兄カンバーバッチも、同様にその傷を背負いかつ、弟を守る役もし、かつ、親に「復讐」したという秘密も背負っている。そして、その妻も、虐待はないのだろうが、養子であった。そういう複雑な子ども時代を持つ者たちが、兄弟の育った田舎町(に、夫婦は都会から引っ越していた)で、彼らの「過去」を知る者たちと、「社交」する。その間に、さまざまな事柄が噴出するというストーリーになっている。

 そういう物語が、イギリスの田舎の夏、それなりに美しい光と空気に満ちている、そういう場所で展開される。だから、日本の観客は、果たしてどこをどう見ていいのか、わからない。つまり、これがイギリスであり、ヨーロッパなのだと思わせる。その空気感と「問題」を味わえばいいのかなと、そういう映画である。

 カンバーバッチファンの私であるが、本作の彼は、そういう光のなかで美しい肉体とまなざしをさらし、まー、こういう顔は、イギリスにしかいないのだろ~な~と、思ったのであった。

 原題『Wreckers』は、レッカー車移動の、レッカーであるが、「家庭を壊す者たち」という意味か。

小山田浩子作『穴』──カフカもいい迷惑だ 

『穴』(小山田浩子著、2014年1月、新潮社刊)

 プロの純文学作家からアマチュアのできそこない小説まで、ちゃんとした人物描写、風景描写などが続けられず破綻したものを、とりあえず、「カフカのようだ」などと言ってしまうことは簡単だし、これまで、何千という「小説愛好家」たちがこの表現を使って来ただろうか。カフカもいい迷惑である。カフカがすばらしいのは、その文体である。当時の社会状況を「私的」に生きるものの内面のエクリチュールとして緊密感に満ちているのである。ただ、破綻したものを「カフカ的」と言われてもねえ……である。

 本作の作者は、確信犯である。編集者も読者も、「選考委員」も、「カフカ的」と言ってくれるのを期待しての題名であり、ストーリー展開である。しかし、「カフカ的」なのは、題名と、非リアリズムのストーリーのみである。文体は、最近ありがちの(したがって、本作者のみが責められずわけではないが)、通俗説明調である。しかし、今の日本の文学界では、そう信じているプロの作家があまたいる(芥川賞の選考委員のおおかたも、このテの方々である)ので、本作に芥川賞が与えられても、べつに驚きはしないが、純粋の文学作品の価値をはかった場合、困ったものだと思われる。

2014年3月10日 (月)

『それでも夜は明ける』──ほんとうは誰も知らない奴隷制の歴史

『それでも夜は明ける』スティーブ・マックィーン監督(2013年)

 こういう作品にハリウッドは弱い。辛い点をつけただけで、奴隷制賛成主義者だと見なされはしないかと密かに怖れているかのようだ(笑)。「アメリカの良心」と言われる歴史家、ハワード・ジンの本によれば、奴隷貿易は、コロンブスがアメリカに到着する50年も前に、ポルトガルで始まった。つまり、1440年代のことだ。アメリカでは、1619年に20人の黒人がジェームズタウンに送られたのが、始まりだ。以来、リンカーンが「経済的理由で」奴隷制を廃止するまで続く。奴隷貿易を最もさかんに行ったのは、オランダで、次がイギリスだった。アフリカにも奴隷はいた。つまるところ、誰も、黒人も白人も、よくは知らないのである。しかし、こういう映画を作ると、「傑作だと言わなければいけない症候群」を発してしまうのは、やはり、長い奴隷制の「たたり」(笑)なのかもしれない。

 監督の、スティーブ・マックィーンは、黒人のイギリス人であり、主人公のキウェテル・イジョフォーも、黒人のイギリス人であり、「善玉」のプランテーションの農園主を演じる、ベネディクト・カンバーバッチも、「悪玉」の農園主を演じるマイケル・ファスベンダーも、ドイツとアイルランドのハーフであるとはいえ、イギリスで活躍する俳優である。つまりは、「イギリス人たちに描いてもらったアメリカ奴隷の世界」なのである。

 物語の時代が、1840年代ということで、長きにわたるアメリカ奴隷制の歴史のなかでも、終盤に近い微妙な時代である。北部の自由州に住む黒人は、20万人いた。しかし、完全なる奴隷制廃止には、南北戦争を待たねばならない。そして、自由州に住む黒人の地位も安定していたとは言い難いのではないか。マックィーン監督は、まず、アメリカの奴隷制を撮ろうという意志があり、のち、本作の原作にめぐり会った。過酷な事実を描いた手記に心打たれたと言うが、アメリカ奴隷制の残酷さは、こんなものではない。

 しかし、演出には、見るべきものがあった。視点があくまで、主人公の見た「現実」である。奴隷船のメカニズム、鞭打たれた皮膚、農場の光などが、アップでていねいに描かれている。音楽は、どこか現代性を感じさせるセンスで貫かれている。

 しかしだ、私は、前作の、セックス依存症の男を描いた『SHAME、シェイム』の方が、より深く人間を描いているように思った。その男を、今回のファスベンダーは、引きずっているように思った。興味深い役者である。

2014年3月 7日 (金)

『芸術とは何か 千住博が答える147の質問』──オール・アバウト千住博

芸術とは何か 千住博が答える147の質問』(千住博著、祥伝社新書、2014年3月刊)

 Q&Aの形を借りてはいるが、画家志望の人も、絵画を愛する人も、知りたいのに誰も答えてくれない質問を、よくぞ集めたものである。質問者は誰とは書いてないので、あるいは、千住博その人が、考えた質問かもしれない。表題の、「芸術とは何か」という問いは、普遍的なもので、古今の芸術家、文学者、哲学者も問うている。本書は結局のところ、そういう普遍的な質問に収束しながら、「日本画の特徴は何か」「西洋画の特徴は何か」「すぐれた絵画とはどういうものか」「美大、芸大の教育で画家にならえるか」「作品の価格はどのように決まるか」「オークションはどのようなものか」「画商とのつきあいはどのようなものか」「値上がりを期待して、絵画を購入するのは邪道か」……など、具体的かつ即物的な質問にもズバリ答えている。

 Q&A形式のよい点は、余分な記述を割愛できることである。本書は新書ながら、およそ千住博の考えていることが、腹蔵なく語られている。千住博はまさに、日本画壇に挑戦し続ける、真にラディカルな(つまりは、本来の意味での「日本」の「絵」を追求し、創造しようとしている)作家であることがよくわかる。また、芸術を志す若い人の道しるべともなるだろう。

2014年3月 5日 (水)

『新しい自分に生まれ変わる「やめる」習慣』──本書を買ってしまった「あなた」は「やめられない」

『新しい自分に生まれ変わる「やめる」習慣』(古川武士著、2013年12月、日本実業出版社刊)

 自分の悪習をやめたいと思っている人は、藁をもつかむ気持ちで本書のような本を買ってしまうと思う。目次を見れば、「あなた」が今にも解決したいことが並んでいる。ネット書店ならすぐ買うをクリック。リアル書店ならレジへゴー。ちょっと待って! 「あなた」が解決したいと思っている項目の、本文をよく読んで! 並べられている「解決策」に、なるほどと目からウロコのものがありましたか? そう、本書のような本を、「もう買わない」ことが、「やめる」第一歩です!

 (と、考え、私は、立ち読みですませた。そして、いろいろな悪習が「やめられる」と思った。)

 

『勉強の結果は「机に向かう前」に決まる』──文章力はないが主張はブレてない

『勉強の結果は「机に向かう前」に決まる』(池田潤著、2013年8月刊)

 勉強本というのは、だいたい似たような内容になるし、あの齋藤孝も、茂木健一郎も、さまざまな本を参照しているので、ここに書かれている「結果を出す法則」や「勉強する時の心構え」などが、どこかで見たようなものであっても構わない。むしろ何度も、同じような内容を見ることによって、リマインダーとして使用することもできる。さらにいいのは、よりよい文章によって、効率的に書かれている場合である。

 しかし、本書は、目次の項目に興味深いものがあったので購入してしまったが、その項目の本文を見ると内容は「空(から)」で、次の項目に進まないと、前の項目の「答え」は書かれていないことがままあった。要するに本書は、行替えの多さもさることながら、「情報量」からいったら、数ページで収まる内容のものしか伝えていない。ときおり作文のように「私事」が混じる。要するに、文章力がない。

 こういう著者が、インターネットを使って受験生に「コーチング」しているというが、なんとも胡散臭い仕事である。予備校教師や家庭教師には、りっぱな著者がいるが、ネットを通じてというのは初めてである。しかも、齋藤孝や茂木健一郎は、ほかに職業を持っていて、おそらくサービス精神から勉強本を書いている。勉強法を指南する、それがそのまま職業になっているのは、なんとも危うい。アメリカのコーチングの本もときどき読むが、このような内容では、「日本の一部の受験生」しか相手にできないだろう。

 勉強というのは、量をこなしているうちに、著者がいうような「抽象性」や応用力は自然についてくるものである。

 ついでに言えば、私は、8つか9つの有名レンタルブログを試しているが、著者が使用している「アメブロ」というのは、菅直人氏や海老蔵など、有名人が多く使っているが、付加機能が多すぎ、デザインも目がちらちらして、使いにくい。聞いただけで覗く気もしない。

 しかしながら、常に「なぜ」を考えるという態度と、「なにかをやめなければ、勉強時間を増やせない」という主張は、いくら言っても言い過ぎということはないので、本質的にはブレてないということで、★は3つとしておく。

2014年3月 3日 (月)

『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』──ディープなアメリカのフツーの人々

『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』アレクサンダー・ペイン監督 

 ジム・ジャームッシュの『ストレンジャー・ザン・パラダイス』を少しだけ彷彿とさせる映画だが、本作の方が、できがかなりよい。まず脚本(ボブ・ネルソン)がすばらしい。「父と息子のロード・ムーヴィー」に、お約束のように用意されている「心のふれあい」、父母の故郷で明かされる「父の秘密」、それらが、実にあっさりと、さりげなく提示されている。

 父子が移動する、モンタナからネブラスカは、約800マイル、車で13時間。ちょうど、アメリカ大陸のまん真ん中の街から街へ移動する。見えるものは、遠くの山脈、平原、空……。朝もあれば、夕方も、夜もあるだろう。しかし、あえて選ばれた白黒は、感傷を押しつけずに、自然の美しさだけを見せる。

 登場人物の8割は老人である。かれらの顔が大写しにされる。男も女も醜い。若者はいるにはいても、ほとんど太っている。主人公一家の、中年兄弟の美しさが際立つ。醜い老人たちは、善人もいれば悪人もいる。だが、観客に、こうした老後が、「10年後のあなたにとっては、まだ他人事」「20年後のあなたには絵空事」「30年後のあなたにはあり得ない事柄」だと言っているようだ。

 だが、それらは、まぎれもないアメリカの現実であり、高齢化社会を迎えている日本でも起こりうることだ。そうした事実を露出しつつ「隠して」、映画は淡々と進む。音楽もさりげなくセンスがいい。

 温かいまなざしをしていたからと、100万ドル当たったと信じ込む父と旅する息子役に抜擢された、ウィル・フォーテが、デブのガールフレンドにさえ振られる、サエない男を演じているが、ほんとうにまなざしがやさしく美しく、心に染みいる。

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