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2014年4月19日 (土)

『寂しい丘で狩りをする』──復讐するは誰にあり?

『寂しい丘で狩りをする』(辻原登著、講談社、2014年3月刊)

 裁判の記録風書き出しは、一見客観記述を装ってはいるが、佐木隆三の『復讐するは我にあり』が、実際に起きた事件を追って、客観的な描写の中から、ドラマを浮かび上がらせるのに対して、本作は、もともと作者の頭の中で作られたフィクションなので、その「客観性」は、当然嘘くさいものになる。

 戦争の客観描写を冷徹に書いていく大岡昇平などあげるももったいないが、それでも、そういった調子を最後まで貫けば、それはそれで、それなりの作品になると思うが、作者は「堪えきれず」、すぐに女性の内面描写、三文小説のイージーな描写に変わってしまう。それなら、それで、女性の内面描写で引きずっていけばいいのだが、すぐに裁判記録が挿入される。それのくり返しで小説は進行していく。

 行きずりの男にレイプされた女性がおり、その女性が、出所した犯人から身を守るべく依頼した女探偵も、つきあっていた男からの暴力に苦しんでいるなど、いったいどういう気持ちから設定したのか? この「わざとらしい偶然」が、文学的になにか効果をあげているとは、とても思えない。

 作者は何が言いたくて、このような、どこをとっても、すっきりしない小説を書こうとしたのか? いくら文学賞をたくさんとっていても、読者は正直である。あまり売れてないようである。「純文学」の奥深さも、「エンターテインメント」の痛快さもない。俗な文体で、わざとらしい設定の物語が綴られているだけである。こういう人が「大家」として扱われる日本の文学界を本気で心配してしまう。

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