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2014年5月

2014年5月25日 (日)

ゴダール最新作

カンヌ映画祭で、審査員賞を取った、ゴダールの新作(にして最後の作?)、『さらば言語』

既婚の女+独身男+犬。(まるで、私の物語のようだが……(笑)。今は、この組み合わせが、「ナウい」(←かなり古い表現だが(笑))のか?

「凡庸」な(?)物語。しかし、非凡な映像。
シノプシスを読んでもべつに見たいとは思わないが、予告編を見ると、とたんに見たくなる。

「Commençons au commencement (はじまりをはじめよう)」──ゴダールのいつもの言葉。

夥しい引用。

(T.S.エリオットの詩もそうだが)

****

Le dernier film de Jean-Luc Godard

Godard qui est toujours exceptionnel.

http://www.allocine.fr/video/player_gen_cmedia=19545281&cfilm=207387.html

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2014年5月20日 (火)

書いたものを公にするということ

古いけれど、無傷の本。昭和47年初版。この本は、昭和48年の3刷。角川文庫、200円。解説、吉本隆明。「青年歌人」岸上大作の講演依頼、教授の判断により中止を余儀なくされ、謝りに行きノノといった交渉しかなかったが、彼の遺書には、自分の名前があったことに、吉本は驚く。そして、解説に書く──。

「〈書かれたもの〉を公開するかぎり、読んだ者から過剰に〈立ち入られて〉ても耐えるべきである。過剰な評価も、過少な評価も、感情的な評価も許容すべきであるノノ(略)ノノ〈書かれたもの〉が公開されるのは、まったく別個のことで、書くものにとって余計な〈露出〉であることにかわりはない。この余計な〈露出〉が、たぶん、読むものに過剰な〈立ち入り〉や恣意的な評価を強いる根源ではないだろうか。そうだとすれば、どんな結末がふりかかっても、それをひき受けるべきではないか」(吉本)

昭和35年(1960)二十一歳。十二月五日午前三時頃ブロバリン百五十錠を服し、さらにロープを使って縊死。死の七時間前から死の寸前まで書きつづけた絶筆「ぼくのためのノート」二百字原稿用紙五十四枚および母、(友人たち略)、などへの遺書。(「年譜」より)

意思表示せまり声なきこえを背にただ掌の中にマッチ擦るのみ

***

この冒頭の歌以外の歌も引用しようとしたが、べつの文庫本(本書より新しい版。それが見あたらなかったので、本書を古本屋さんで購入したのだと思う)で解説の寺山修司が書いていたように、「この歌よりほかの歌にはいいのがない」ような気もする。寺山はこのように書いていた。「まるで第1ラウンドでノックアウトされたボクサーのように惨めではないか」。しかし、その歌を「剽窃」したのではないかと思われるのが、寺山の、

マッチ擦るつかのまの海霧深し身捨つるほどの故郷はありや

(↑覚えているかぎりなので、多少違うかも)である。

さらに、この岸上の年頃、私は「現代詩手帖」の常連投稿者であったが、たまたま同郷の「有名詩人」の夫人が、私が出た中学のララ先生だと知ったので、手紙だか葉書だかを出したことがある。葉書の返信が来て、

「あなたのことは知っていました。この地方の若者は、ぼくとの距離の取り方がうまくいってない人が多くノノ」ということが書かれており、私は、「何様?」という感想を持った。吉本と同様の「自立派」と見なされていたこの詩人は、「その後」、某私立大学の学長に呼ばれ、いまでは「大学教授」であるが、吉本隆明は、そのまま、「教授」にはならず、「自立派」として文筆家の生をまっとうしたのだと思った──。

ま、ネット上であれ、以外であれ、「書くものを公にする」方々は、参考になさってください。

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2014年5月18日 (日)

「困った人々」

「鼻血まんが問題」で、雑誌の自粛、出版差し止めかなんか知らないが、「朝鮮人が暴動を起こすから殺せ〜!!」なみに、「表現の自由が侵された」と騒いでいる人々がいるが、「表現の自由が侵される」とは、このような程度ではない。中国では、牢獄行きだし、死刑だってありうる。それが「表現の自由が侵される」ということだ。

なぜ、福島のものを食べて「鼻血が出た」という漫画が困るかと言えば、福島の農産物が売れなくなり、困るのは福島の人々だからだ。

一方で、福島の人々を救うためと言いながら、こういう「妨害」行為を平気でしている。自分たちの行動が矛盾しているとは思わないのか?

たとえば、福島の原発事故「直後」に、食物を食べて鼻血が出るようなことがあったとして、その放射性物質はなんだったのか? これを特定して、初めてなにか言いうるだろう。鼻血が出たのは、ほんとうに放射性物質が原因なのか? 医者が証言している? 果たしてその医者に、放射性物質に関する知識はあったのか? その症状は、事故後のいつ出たのか?

放射性物質とは、われわれの中にも存在するし、植物の中にも存在する。だから、5000万年前くらいの生物がいつの時代か計れる、「炭素14測定法」なるものがある。

すぐに症状が出る危険な放射性物質に、ヨウ素131があるが、これは急速に崩壊し、短時間で大量被爆する。甲状腺にたまり、甲状腺癌を引き起こす。しかし、数週間後には、消えてしまう。

一方、バナナの中に含まれている放射性物質の半減期は10億年なので、ゆっくり崩壊し、放射線も人体に影響のない程度である。

広島、長崎で被爆した人々が苦しんでいるのは、半減期が30年の、中間の長さの放射線で、人の半生ほどの長さ、放射線を出し続けるからである。

そういう知識もなしに、ぎゃあぎゃあ、騒いで、はた迷惑な行為をし、しかも、どんなことを言っても、まったく自由なんで、日本に生まれてよかったとは、思わないのか? 平和ボケもいいかんにしてくれ!

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「おひとりさま」ベジタリアン・ディナー

昨日の「おひとりさま」ベジタリアン・ディナー。

オイル漬けイタリアン・フルーツ・セミドライ・トマトとシイタケ(原木栽培)のパスタ(フェディリーニ(1.4㎜))、サラダ(レタス、スタッフド・オリーブ、パプリカ(黄色)、ちりめんじゃこ)。

白ワイン(チリ、シャルドネ)

このワインは、コンチャイトロのフルボトルで、600円台のシロモノであるが、ブドウ品種(cépage)にシャルドネ(chardonay)シャンパンなどにも使用)が使ってあるので、なかなかの掘り出しモノ、オススメである)

イタリアン・フルーツ・トマトのオイル漬けは、ニューヨークのイタリアンデリのDune&Deluca(オンライン)で購入したもので、味は濃厚。シイタケは十分焼くとコクと香りが出て、野菜だけでも満足感がある。

Saturday's vegetarian dinner for myself : Pasta with fruit tomato and shiitake mushroom, salad with lettuce, olive, paprika, boiled and dried baby sardines),white wine(Chile, Chardonay


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2014年5月15日 (木)

いわゆる「『美味しんぼ』問題」について

『美味しんぼ』という漫画で、福島の食べ物を食べて鼻血が出たという場面が問題になっているようですが、多少なりとも「科学的視線」があれば、こういうのが非科学的なのはすぐにわかって、騒ぐほどのものでもない(とはいうものの、読んではないけど、フランスの「Le Monde」でも取り上げられていた)。

 なぜかというに、放射性物質には、半減期なるものがあって、物質ごとに期間が違っている。福島の汚染が問題なのは、半減期の長いもの、つまり、100年経っても土地の汚染が消えない、だから問題なのであって、すぐに症状の出るものは、半減期が短い放射性物質なんです。

 もし、放射性物質を、「殺人」に使うなら、半減期が1〜2週間程度のものを、食品に混入すればいいんです。元KGBのリトヴィネンコがロンドンの寿司を食べたのち、髪の毛が抜け衰弱して死んだのは、寿司に、ポロニウム210が混入されていたからです。同様のやり方で、PLOのアラファト議長も殺されたのではと推測され、現に、遺体(は、氷詰めされ、米軍軍用機で、アメリカに運ばれたそうである)から、ポロニウム210が、検出されたとうニュースがあったと思います。

 つまり、ある食品がなんらかの人体の影響を与えたと示したいシーンでは、その食品から、いかなる物質が発見されたかを書かなければ、まったくの「絵空事」になってしまいます。漫画家でも、そういう知識は必要なのでは?

 あらゆる食品は、分析すれば、何が含まれているか、わかります。

 ちなみに、私は、お米は、福島の「会津こしひかり」を食べています。

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2014年5月12日 (月)

『ブルージャスミン』──人は誰もジャスミン

『ブルージャスミン』(ウディ・アレン監督、原題『BLUE JASMINE』、2013年、98分)

 

 ウディ・アレンのドキュメンタリー映画を見たが、彼はベッドに腰かけて、レポート用紙(例の黄色の線入り)で、思いつくとすぐに、脚本を書いてしまう。いかなるテーマも、ストーリーも、そういう軽いノリが書かれていることに共感を覚えた。できた作品は、たいてい、90分程度の小品で、そのクレジットの入れ方も、いかにも遊びでございというスタイルである。当然、このスタイルで思い出されるのは、ゴダールである。

 こういうふうに、「すぐにできてしまう」彼の作品を楽しみにしているが、今回は、笑いを誘いながらも、一見シリアスなテーマにも見える。しかし、見える、だけである。相変わらず、笑いのめすのは、「あなたのなかの俗物根性」である。

 わが主人公、ジャスミンのような、上昇志向の女はどこにでもいる。映画では、わかりやすいように、破産して妹に頼るべく、サンフランシスコの空港に着いた彼女は、破産しているのに、バッグも、ジャケットも、スーツケースも、あのブランドとすぐにわかるものを身につけている。機内でも、一銭もないのに、ファーストクラスに乗っていた(笑)。「里子同士姉妹」である妹の、庶民的な暮らしや「、粗野で無教養な「友人たち」(この男どもの、「低レベル」ぶりがすばらしい)が好ましく見えるほど、ジャスミンは、徹底的にイヤな女である。見栄を張りまくり、人を差別し、利用しまくり、ウソをつきまくる。どんどん堕ちていくが、目が醒めない。

 こういう役は、きっと、スタイル抜群の美貌のケイト・ブランシェットがやるからいいのである。彼女が常にマスカラとれぎみの目で喚いているのを見ると、観客は、心の底から「ざまーみろ!」と思うだろう。

 そこがウディ・アレンの狙い目である。この主人公は、わかりやすいように、極端に描かれているが、実は、われわれの中にも、彼女の要素は少しずつ存在する。それにしても、徹底的にイヤな女は、やっていて快感なんだろーな、と思う。それでオスカーも取ってしまったのだから、こんないいことはない。庶民的でない女優も使いようである。

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2014年5月 8日 (木)

『プリズナーズ』──昔、ブラピ、今、ギレンホール

『プリズナーズ』(ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督、原題『PRISONERS』、2013年、153分)

 幼い娘を誘拐されて独自に犯人を追い詰める「主人公」ヒュー・ジャックマン迫真の演技だそうだが、やはり観客は、とくに日本の観客は、冷静に捜査を進める抑えた演技が光る、刑事役のジェイク・ギレンホールに感情移入するだろう。チラシにあったように、(アメリカでは、だと思うが)、一年間に行方不明になる児童は、およそ80万人だそうである。このような、自宅のほんの近くで、子どもが姿を消す事件が、アメリカではそう珍しくないのかもしれない。第一、アメリカは土地が広いし、家の敷地も広いうえに、地下室やら空き地、納屋なども十分あるので、誘拐した人間を隠しておくところもかなりあるし、身代金というより、最近では「虐待」のためという目的も多そうである。

 そうした状況をもとに、映画は、ゆっくりと物語を描き出していく。田舎町の様子、主人公一家の状況(近所に住む友人一家との感謝祭のごくあたりまえの、心温まる交流)、そして、ちょっとしたすきに、主人公と、その友人の子どもの、二人の少女が姿を消す。

 腕利きの渋い刑事が登場する。この役は、『グランド・イリュージョン』で、マーク・ラファロが演じた役を彷彿とさせるが、ラファロが演じた刑事には、プライベートの背景があったが、ギレンホールが演じる刑事は、なんらプライバシーが出てこない。ただ、一度も犯人を取り逃がしたことのない優秀な刑事であることしかわからない。とくにエキセントリックでもなく(むしろ、この、かつては刑事が演じたキャラクターを、本作では、被害者の父親のジャックマンが演じている)、捜査の基本に忠実かつ注意深い、慎重、というだけである。

 ギレンホールは、おそらく筋肉もつけ、体重も増やして、この役にのぞんでいる。そしてこれまでの彼にもありがちであったように、実年齢より上の年齢の設定で出ているような気がする。しかしどうしても、若さが覗く。それがこの俳優の魅力のひとつであるが……。

 さて、物語も、複線をうまく使い、なるほどと頷かせるトリックで、よくできている。脇も、さりげなく豪華に固められている。容疑者役も、割に合わない役だとは思うが、ポール・ダノを起用することによって、ほんとうはどうなのかわからないといった状況をうまく表し得たと思う。

 2時間半という長さを使って、うまくリアリティを出している。いま、似たような映画、『セブン』『ゾディアック』(これにもギレンホールが出ているが)を思い出すが、本作が抜きんでているような気がする。とくにオチは、誰にも思いつかないと同時に、事件の核心を突いている。

 それしても、猟奇的な事件を描いた作品には、若さとか美とかいった魅力を持った刑事役の俳優が必要だと思うが、その昔は、ブラッド・ピッドでも、いまは、ギレンホールなのだろう。

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2014年5月 5日 (月)

『とらわれて夏』──官能と愛のピーチパイ

『とらわれて夏』ジェイソン・ライトマン監督、原題『LABOR DAY』2013年、111分)

 

 こういう話は、語り方によっては、絵空事になってしまうが、俳優たちの肉体、まなざしによって、見事にリアルなものになっている。そして、愛とは……と、考えさせるように。まさに映画が映画としての意味を持つことに至っている。

 どういう仕事をしているのかわからないが、ダンスが得意で、ウツぎみの「母親」、ケイト・ウィンスレットが相変わらずいい。この女優は、演技の基礎がしっかりしていて、なにをやらせてもそれなりのリアルな世界を現出してくれる。しかも古典的な美しい風貌が、どんな女を演じても品がそこに寄り添っている。

 相手役の、「逃亡犯」、ジョシュ・ブローリンも、あえて選ばれただけのことはあって、ケイトと同じ価値を持っている。彼も、どのような役を演じようと、そこに深みや品を添えられる。

 まさに、あり得ないかもしれないけれど、夢見ても罪にはならないだろう愛の物語を演じるにはうってつけの二人である。また、重要な鍵となる、ケイトの息子がよい。年齢は中学1年生。まさに少年の終わり頃に位置する微妙な年齢である。そして、母の女としての悩みや喜びを理解していく。

 流産体質のために、情緒不安定になり、夫に捨てられた女。彼女を支える中1の息子。そんな二人の希望のない暮らしのなかに飛び込んでくる逃亡犯。ドラマチックな設定だが、そこにドラマはなくて、ただ暮らしがある。三人の一週間にも満たない日常が、愛を描き出していく。この短い期間に、この逃亡犯は、およそ夫や父親が果たすべき事柄、すなわち、家の修理から、クルマのタイヤ交換、野球のボールの投げ方まで、すべてしていく。あとには、愛が残される。

 25年ほど経ち、成長した息子を、トビー・マクガイアが、わずかな時間ではあるが演じている。それもまたリアルである。こうした評価の定まった俳優を起用することによって、観客の関心がそこにそそがれる。

 もちろん、本作のハイライトは、母子と逃亡犯の疑似家族三人が、逃亡犯の指導によって作る、ピーチパイつくりである。それは、官能と愛が見事に融合している場面である。

 ひとつ、私も、ピーチパイを作ってみるか(笑)。

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