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2014年5月20日 (火)

書いたものを公にするということ

古いけれど、無傷の本。昭和47年初版。この本は、昭和48年の3刷。角川文庫、200円。解説、吉本隆明。「青年歌人」岸上大作の講演依頼、教授の判断により中止を余儀なくされ、謝りに行きノノといった交渉しかなかったが、彼の遺書には、自分の名前があったことに、吉本は驚く。そして、解説に書く──。

「〈書かれたもの〉を公開するかぎり、読んだ者から過剰に〈立ち入られて〉ても耐えるべきである。過剰な評価も、過少な評価も、感情的な評価も許容すべきであるノノ(略)ノノ〈書かれたもの〉が公開されるのは、まったく別個のことで、書くものにとって余計な〈露出〉であることにかわりはない。この余計な〈露出〉が、たぶん、読むものに過剰な〈立ち入り〉や恣意的な評価を強いる根源ではないだろうか。そうだとすれば、どんな結末がふりかかっても、それをひき受けるべきではないか」(吉本)

昭和35年(1960)二十一歳。十二月五日午前三時頃ブロバリン百五十錠を服し、さらにロープを使って縊死。死の七時間前から死の寸前まで書きつづけた絶筆「ぼくのためのノート」二百字原稿用紙五十四枚および母、(友人たち略)、などへの遺書。(「年譜」より)

意思表示せまり声なきこえを背にただ掌の中にマッチ擦るのみ

***

この冒頭の歌以外の歌も引用しようとしたが、べつの文庫本(本書より新しい版。それが見あたらなかったので、本書を古本屋さんで購入したのだと思う)で解説の寺山修司が書いていたように、「この歌よりほかの歌にはいいのがない」ような気もする。寺山はこのように書いていた。「まるで第1ラウンドでノックアウトされたボクサーのように惨めではないか」。しかし、その歌を「剽窃」したのではないかと思われるのが、寺山の、

マッチ擦るつかのまの海霧深し身捨つるほどの故郷はありや

(↑覚えているかぎりなので、多少違うかも)である。

さらに、この岸上の年頃、私は「現代詩手帖」の常連投稿者であったが、たまたま同郷の「有名詩人」の夫人が、私が出た中学のララ先生だと知ったので、手紙だか葉書だかを出したことがある。葉書の返信が来て、

「あなたのことは知っていました。この地方の若者は、ぼくとの距離の取り方がうまくいってない人が多くノノ」ということが書かれており、私は、「何様?」という感想を持った。吉本と同様の「自立派」と見なされていたこの詩人は、「その後」、某私立大学の学長に呼ばれ、いまでは「大学教授」であるが、吉本隆明は、そのまま、「教授」にはならず、「自立派」として文筆家の生をまっとうしたのだと思った──。

ま、ネット上であれ、以外であれ、「書くものを公にする」方々は、参考になさってください。

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