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2014年7月 7日 (月)

『her/世界でひとつの彼女』─「言葉」と「物」

 スパイク・ジョーンズ監督『her/世界でひとつの彼女』

 恋愛にかぎらず、人間でないものとの心のふれあい、もっと言えば、過剰な思い入れは、物理的ふれあいが不可能ゆえに、ときに絶望的に悲しい。過去にもいろいろな物語があった。それが非現実的な話なら、ピノキオは人間の男の子になったし、「次元を超えて」結ばれることもできた。しかし本作は、近未来とはいうものの、まぎれもない現実を描いている。ゆえに、OSの「サマンサ」が、ある日突然肉体を持って主人公、セオドアの前に現れることは考えられない。あらかじめ、「絶望」は用意されているのだ。

 著書を通じて、すでに死んでいる人物に恋することもあるが、それでも、その人物は、かつては肉体を持っていたので、どこか救われる。

 OSというのは、コンピューターのオペレーティング・システムで、いわゆるAI(人工知能)のロボットとも違う。なるほどAI搭載型OSであるのだが、OSなので、肉体がない。ここがこの映画のミソであるが、そういう条件で、どこまで交流ができるかということである。しかし、果たしてこれは「交流」なのか?

 哲学者のミシェル・フーコーは、『言葉と物』のなかで、「やがて人間という概念さえ終わるだろう」と言っている。そういう状況のもとで、恋愛という概念などいかなる意味があるのだろう? まさに、「言葉」と「物」なのである。「言葉」と「物」は永久に探求されなければならない。

 そしてこの映画の魅力とは、そのまま「物」=OS役の、スカーレット・ヨハンソンのハスキーで温かな、笑い声なのである。そして「考え方」なのである。こんなにも人間的に真摯で正直な考え方を、チャーミングな声で発するプログラミングが可能なのかということだ。

 「宇宙の中では、われわれは同じ物質」とサマンサは言う。これこそ本作の神髄と見た。恋という感情は、おそらく、ギリシア悲劇でいう、カタルシス、なのではないかと思う。そのカタルシスを、本作は、映画ながら感じさせてくれる。そして、カタルシスとは、記憶のなかで、何度も再生できるのである。

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