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2014年7月15日 (火)

『明治の表象空間』──「表象」という名のエントロピー

『明治の表象空間』松浦寿輝著(新潮社、2014年5月刊)

 結局、「フランス文学者」の「明治」なのである。第1部「権力と言説」の、警察関係資料の詳細なデータ援用は、それなりに何かかたちにしてくれるのだろうかと期待するが、やがてそれは、総花的かつ断片的な、現代思想家(フーコーは当然のことながら、ベンヤミン、アガンベン)、西洋哲学者(カント、ヘーゲル、ニーチェ)、西洋文学者(ボードレール、ブランショ)などの「援用」に落ち込んでいき、辟易させられる。

 筆者は果たして、本書で何が言いたいのか? 歴史的に、文学的に、哲学的に、「明治」という時代を形作っている「なにか」(それを「表象空間」というのか?)を明かしたいのか? 残念ながら、本書は、歴史書としても、哲学書としても唐突すぎて信頼がおけない。では、文学書としてはどうか? それを期待するしかないのだが、著者個人のインスパイアされる力が感じられず、ただ知識のある学者の抽象的な記述に終わっている。

 なにより不満を感じるのは、「明治」というのに、「江戸」からの地続きの思想の紹介が、「儒教的な」で終わっている。この「儒教」ひとつとっても、江戸時代には、さまざまな考え方の思想家がおり、しかも、荻生徂徠や伊藤仁斎などは、漢語で本音を書いているので、その詳細な読解もほしいところである。天皇に関する考察にも、なにもスリリングなものを含んでいない。権力について何かを解明したような気になっても、著者が結局、安全地帯にいることに変わりはない。

 所詮は、「都電を見ながらエッフェル塔を思う」学者の自己満足的「集大成」以外のなにものでもない。

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