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2014年11月

2014年11月27日 (木)

『6才のボクが、大人になるまで。』──繊細な少年のイーサンがオヤジになるまで(★★★★★)

『6才のボクが、大人になるまで。』(リチャード・リンクレーター監督、2014年、原題『Boyhood』)

 オーディションで選ばれた6才の子役を使い、同じその子を、18才なるまで、毎年同じメインキャストで撮り続けたということで、話題になっている作品。1人の男の子を12年間追い続けた手法はドキュメンタリー「風」ではあるが、結局、フィクションを撮り続けている、というところがポイントである。

 ガキっぽい父親役のイーサン・ホークがからくも言っているように、主役のエラー・コルトレーンの、クリエイティビティに、ひたすらかかっている。この子が、途中で、いくらフィクションとはいえ「つまらんガキ」になってしまうリスクも抱えていた。

 同監督の『ビフォア・サンセット』(その後のシリーズも)もそうだが、本作もドキュメンタリー「タッチ」ながら、完全なるフィクションを、その「手触り」を感じさせながら撮っている。いま、フィルモグラフィーを見たら、私のすきな俳優、ジャック・ブラックとも、イーサン・ホークのように、何作か作っていて、なかでも、今回の作とはまったく毛色が違う、『スクール・オブ・ロック』も彼の監督だった。そこには、既成の概念、できあいのゴージャスさに対する反抗が見てとれる。

 本作は、子役の少年の感受性もさることながら、「姉」や「両親たち」も、12年間の間には成長していて、パトリシア・アークェットの母親は、ちょっとだらしない雰囲気を漂わせながら、格闘しながら子どもの成長を見守っていき、自分も勉強して、大学で教えるまでになっていくし、まるでガキのような父親のイーサン・ホークも、ほかのおとなにはない優しさを秘めながら、父性に目覚めていく。若い日のあやまちで子どもつくり、若さゆえか、簡単に別れてしまった両親は、それぞれ成熟し、またふたりでくっつけばいいのにと思えども、そこはそれべつの人生を生きていく。

 本作で、男の子は変化していくが、作品としての安定を保証しているのは、父親役のイーサン・ホークの存在である。『今を生きる』の頃のホークは、本作の少年より繊細さを感じさせる少年であった。その純な核は変わらず、体型も12年間ほとんど変わらず、なかなかの俳優と見直した次第だ。

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2014年11月24日 (月)

『紙の月』──宮沢りえ賛江!

『紙の月』(吉田大八監督、2014年)

 

 宮沢はりえは、野田秀樹の『リング』に出た頃は、舞台への情熱は感じられたが、まだそれほどうまくなかった。声も十分に出ていなかった。それが、何度か野田の芝居に出、蜷川幸雄演出の、唐十郎の戯曲『下谷万年町物語』に出た頃には、両演出家に鍛え上げられ、堂々たる舞台女優になっていた。若い時より美貌が取りざたされるりえであるが、もう四十も過ぎ、「激やせ」もそれほど解消していなくて、「ヤク中の体」などと嫉妬混じりか、悪口を言うレビュアーもいる。

 確かに美貌に陰りは出ている。しかし、体当たりで作品にのぞむようで、これほど活動し続けていたら、太るヒマもないだろう。

 本作は、その女優、宮沢りえあっての作品だろう。美貌にかげりは出ても、体形は、ガイジン体型のりえは、骨格ががっしりし、腰が高い。私は舞台でその姿を何度も見た。ドライなOL役の、元AKB大島優子は、かなりのハマり役だが、彼女との対比をみればあきらかで、大島は標準の日本人体型とみた。いくら痩せていても、りえの方がひとまわりでかいのである。

 そういう「世界に通用するサイズ感」を、完全に生かしたドラマづくりである。体を使って若い男との情事に溺れる、体を使って横領の証書を偽造する、体を使って「お局さま」の小林聡美(女優としてのリスクは高いが、「あるある」の役どころを心おきなくこなしているところは、やはりりえに対抗できる女優であるが)と対立する。そして、体をつかって逃げる。

 監督は、どうも原作には、あまり惹かれなかった(自分で映画化を決めたのではないのかも)が、主演に宮沢りえを得てはじめて映画が動き出したと言う。これが、大竹しのぶ(同じく、野田秀樹の舞台で鍛えられた女優だが)では、「ちがうハナシ」になってしまってだろう。ことほどさように、俳優の肉体は、作品にとって重要である。

 作中では、「すごくきれい」という台詞も吐かれるほど、美貌の役なのだろうが、俳優としての宮沢りえ自身は、もうそういうことは超越しているように見える。この透明感を、いったいいつまで保つことができるのかは、興味あるところである。

 どろどろしがちな俗っぽいドラマを、センスのいい音楽と透明な映像、原作にはない、業界内を綿密に描く知的な取り組みは、ハリウッドの洗練にも迫っていて、日本映画とはいえ、上質のエンターテインメントにしあがっている。

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2014年11月22日 (土)

ヴィゴ・モーテンセンに「ウェルカム・ボート、マム」と言われたい(笑)

(アメリカでいちばんセクシーと思われる俳優、ヴィゴ・モーテンセンと、「アメリカの良心」と言われる学者のハワード・ジン(故人)が友だちであり、モーテンセンは、ジンの活動に協力していたというニュースを見て、急に思い出した↓)

 かなり前に、デミ・ムーア(いろいろ「お直し」している俳優が多いが、デミは高校時代の写真と、一番人気のあった頃の写真がほとんど変わらなかった。その後、ストリッパー役のため、すごいお金をかけて、体を「お直しした」とも言われるが……(笑))が、海軍だかの軍人で、「女でもできるキャンペーン」のため、海兵隊に入れられ、地獄の特訓を受ける。生え抜きの男子軍人でもネを上げる、アメリカ一厳しい特訓である。

 その教官を、ヴィゴ・モーテンセンが演じた。顔はサングラスをしてよく見えないが、スリムな肢体、アゴのライン、イケメンであることが丸わかりであるが、情け容赦ない鬼の教官である。

 デミは鍛え抜かれる。いっさい手抜きなし。教官からは、まるでゴミのように扱われる。しかし、見事合格し、白いマリンの制服を着て、乗船する──。

 合格者ひとりひとりを、合格の印を与えつつ出迎える教官。これまで、ゴミのように扱っていた教官が、恭しく手を差し伸べる。

「ウェルカム・ボート、マム」と言って。

(写真は、カンタブリア海@北スペイン、向こうは、イングランド)

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2014年11月21日 (金)

芥川龍之介に捧げる句

草餅や世を古妻の乳の垂り   芥川龍之介@大正13年(1924年、第2次護憲運動おこり、護憲三派による加藤高明内閣成立。築地小劇場開かれる。メートル法使用始まる。前年には、関東大震災。朝鮮人虐殺。大杉栄ら殺される)

3年後の昭和2年(1927年)、1月2日、芥川36歳、義兄(姉の夫)西川豊宅全焼、鉄道自殺のための後始末、整理にに奔走。

7月24日未明、田端の自宅にて、ヴェロナール及びジャールの致死量を仰いで自殺。枕元に聖書があった。

7月27日、谷中斎場にて葬儀。

先輩総代、泉鏡花

友人総代、菊池寛

文芸家協会代表、里見弴

後輩代表、小島政次二郎

の弔辞。

(『芥川龍之介全集 第12巻』(1978年、岩波書店刊)より)

毒あふぎベアトリーチェと夜寒かな  山下@2014.11.21

Kabe_3

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2014年11月19日 (水)

奥泉光『東京自叙伝』──鈴木博之『東京の地霊』をオススメします

『東京自叙伝』(奥泉光著、2014年5月、集英社刊)

 それほど多くない読者を、内輪のウケねらいだけでお手軽に、しかし、「大作に見せかけるべく」長々と書き、厚い本にしているのは、高橋源一郎と同じ「純文学作法」である。私も、「地霊」には関心があったので、その地霊に東京の歴史を語らせると、なにかの解説にあったので、本書をすぐ求めて読んだ。確信犯的な、語りは相変わらずであるが、レビュアーのどなたかも書いていたとおり、題名と内容との齟齬に苦笑い。

 だいたい、地霊と言いながら、人物だの、動物だの、「語り手」=「視点」をどんどん変えて、空疎なおしゃべりを連ねているだけ。エンターテインメント系の新人賞なら1次も通らないのでは(笑)? こんなにお手軽に長編小説ができてしまうのか、の見本である。しかも、ちょっと内容があるみたいにするために「3.11」に絡めたりするのも、まったく確信犯的。

 参考文献を見ると、「地霊」について、きわめて示唆的な本、鈴木博之著『東京の地霊』が抜けていた。本作を見るかぎり、読んだ形跡はない。そもそも地霊の概念とは、英国十八世紀のものらしい。ラテン語では、Genius loki(ゲニウス・ロキ)。この概念を踏まえつつ、東京という土地の歴史的、政治的「変遷」を、「具体的に」表出した『東京の地霊』は、静かな衝撃を読者に与えずにはおかない。真に地霊を語るにふさわしいものとなっている。

たとえフィクションでも、なんらかの意味で、『東京の地霊』を意識し得なかったら、それは著者の勉強不足であろう。

 谷崎賞を与えられた『東京自叙伝』であるが、いまの日本の純文学界は、選考委員の方も大したことないので、なんの意味があるのかわからない。読者は正直だから、そう売れてない(Amazonレビュー数がそう多くないにもひとつの目安)ようなのを見ると、お金を払う価値はないのだろう。

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