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2014年12月15日 (月)

紫野京子のインターステラー

  ネット上では、画像情報はともかくとして、基本的には、その人となりは、その人が書いた文章でしか読み取れない。したがって、文章が自由にあやつれないとなると、多少不利なことになるけれど、じっくり読めば、どんな短い、一見素朴と思える文章にも、その人となりは現れる。たとえ、一見「華やかな」な情報を自在に発信しているかに見えるFacebook(載せられる画像サイズは、ブログ等とちがって、無限のようにも思われる)も、書かれた文字から人となりを判断するように、私はしている。 

 人目を引くような目立つ画像を、どこからとも知れず盗んで(「拾って」と本人は言うが(笑))来て、おのれのページを飾っている人。無邪気にもその画像に感心して、本心かどうか、褒めている人……などなど。まあ、ご自由に、ではあるが。そのなかで、武貞京子という人の花や自然を撮った写真には、ただうまいだけでない何かオリジナルな視点があって惹きつけられていた。和服の写真を自慢げに載せているオバサン(失礼(笑)!)もまま見受けられるが、その中には、飲み屋のママさん(笑)のような、初老のお色気自慢の方もいらっさったが、武貞京子という人が発表する和服は、まったく違った意図でなされ、その気品、豪奢さに、なんと贅沢なことかと、これまた惹きつけられていた。

 氏が書かれている文章を見れば、お宅には、介護しなければならないご主人もおられるようだけど、そんなイメージからはほど遠いほど、優雅な時間を(努力されてではあろうけれど)過ごされている。お庭の草花や虫、空の星々、展覧会等、大して時間も取られない事柄でありながら、深く堪能されている様子にも、心から感心していた。

 その武貞さんは、やがて、詩人の紫野京子さんであることがわかる。そのお名前はどこかで見たことがあったし、「業界」(これまた「失礼」(笑))では知られた存在なのであろう。

つまり、Facebookの友だち(たぶん、私がランダムに出した(そういう時期もあった)「友だち」申請に応えてくださって、「友だち」になったのだと思うけれど)のなかでも、お近づきに(矛盾しているが(笑))なりたい方だったし、文才があることもわかっていたので、自分が勝手に開設した、(一応、俳句等投稿サイト)『明日は帰ろう伊賀の里』のメンバーに勝手に入れさせていただいたところ、思わぬ投句をいただき、その後、たびたび、俳句や短歌を、すばらしい写真とともに公開してくださっている。

 そういうご縁で、氏がこれまで出された、詩集、評論集、雑誌等をご恵贈いただいたが、ほとんどすべて、「月草舎」という、ご自分の出版社で出されている(装幀等も)ことが印象的であった。いつか、FBでも書かれていたが、ずっと哲学書を読まれることが心の支えであったという。それも、はやりだからとか、頭をよく見せようだとか、という見栄ではなく、ほんとうに自分の心を支えるために読まれていたようだ。

 FBは、奇しくも、そういう武貞=紫野ワールドを全体で眺めることができるのだが、これが、詩集のみ、雑誌のみの文章だけだと、語っている声が静かなので、ある技術を備えた詩人ではあるけれど、どうかすると見過ごしてしまったところだろう。

 「雲は天才である」と言った歌人がいたが(笑)、武貞京子も天才なのである。最新の詩は、『季』(2014 冬 100号(「関西四季の会」)に見ることができる。

  沼のなかに沈んだように

  その静かな動揺が

  永劫のように思えた 

  天の国のやすらぎよりは

  昏い六道を経廻る方が望みだった

  あなたなしの光よりは

  あなたと共にある闇の方が

  愛しかった

  湖面に揺れる光の影

  沙羅の花が落ちる

  一日さえも危うい今

  この時だけが信じられる

 

  その一瞬だけが永遠だと

  信じていられた

  それすら今はもう 枯野のかなた

  幻の姿さえ掴めない

  今 ここにしかいられない

  存在の哀しさ

  (「あなたのしずけさ」)

 これは亡くされた弟さんのことを思って書かれたのだろうと思う。亡くされたのは、「資料」から判断するに、もう十年以上前のことと思われるが、紫野京子にとっては、いつでも、つい昨日のこととしてあり、またそれゆえ、死者の魂も、氏とともあるように思う。

  枯枝に一つだけ

  小さな林檎が残っている

  風花が舞う

  冬一番の木枯らしが

  駆け抜けてゆく

 

  オリオンが上り始める

  リゲルが頭上に輝いても

  眠れない夜

  (「冬の庭」)

  私たちはみな

  心のなかに 庭を持っている

  (「心の庭」)

 誰も、冬の夜空を仰いで星を探した者なら、また、庭にあこがれを持って、林達夫「作庭記」を読んだものなら、これらの言葉が、頭の中で作られた抽象的な言葉ではなく、まぎれもない現実であることが納得させられるであろう。私は、「現代詩」界という世界は、闇雲であると思うが、紫野京子(と、氏の周辺)の詩は、決して闇雲ではない。ここでは、どこかに存在していると想定されるような「詩壇」は意識されていない。ぎりぎりの生存の美学があるのみだ。

 愛の強さゆえに、時空を超えて再会することができた、映画『インターステラー』の父娘のように、武貞=紫野氏も、いつか、弟さんに会われんことを切に祈る。

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