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2014年12月 8日 (月)

『フランクフルト学派』──二流詩人にして三流学者の私的エッセイ(★)

『フランクフルト学派 -ホルクハイマー、アドルノから21世紀の「批判理論」へ』(細見和之著、2014年10月刊、中公新書)

 著者は、「アウシュヴィッツ以後も」、マラルメ風言葉遊びのような、ヘナチョコ詩を書いている詩人である。そっちはあまり注目されてないが、一応学者でもあるので、こういう著書の依頼が来たと思われる。本書以前に、講談社の現代思想シリーズで、『アドルノ』の巻を担当している。

 本書の題名を見て、著者名に躊躇したものの、題名で即買いした。買って損したとは思わない。現代思想にとって、重要な、思想家を多数輩出した「フランクフルト大学」が生み出した学者たちについて、どんな言及がなされているか、無関心ではいられないからだ。本書は、「ですます」調によって、「無知なものに語る」というスタイルなってしまっていて、しかも、著者の「考え」が紛れ込んでいる。こうして書物は、「入門書」としては百害あって一利なしである。

 ちなみに、「フランクフルト学派」、最重要の思想家、アドルノについて、真のこのような書を執筆にするにふさわしいと思われる三島憲一は、このように書いている。

「(重要な著書『啓蒙の弁証法』において)市民的な主体は他者への支配、自然への支配、自己の自然への支配によってなりたっていることが、オデュッセウスの昔に遡って叙述されている。それはまた自然の中に人間世界を読み込んでいた神話暴力が実は理性の誕生であったことと裏腹である。神話はたしかに世界的な啓蒙過程によって消失していったが、逆に神話にあった野蛮は現在理性の姿をとって回帰している。現在では学問はいっさいの自己反省能力を喪失した管理の手段でしかないし、芸術は異なった世界への超越という機能を見失ってしまったし、されに倫理はもはや根拠づけができなくなっている」

「特殊性を一般性に包括する概念によって非同一的なるものは損壊されざるをえない」

(『現代思想 ピープル101』新書館、1994年刊)。

つまり、著者も、ここで批判されている「管理の手段の学問」をしている学者にすぎないことをいみじくも露呈している。

 新書は、最近、伝統ある新書でも、玉石混交の、「石」の比率が高すぎるようである。本書などもその一例である。

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