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2015年4月12日 (日)

『バードマン』レビューの補記あるいは、分析

 本作は、個人的にも好みの、というより、ほとんど自分の目ざしていることと近すぎて、いろいろ疑問が出てくる。いい映画ではある。それゆえ、時間をかけて考えてみたいと思う。

 たとえば、終盤、出番を控えた楽屋で、銃を出し、それに実弾である「マガジン」を充填した。銃は劇中の小道具であるが、ここで、リーガンが舞台の上で自殺を試みることが「示される」。それをさらに補強するかのように、幕の袖(そこから登場する)へと至る舞台裏の通路を歩いていくと、小道具係が、「何度も」、「リーガン、銃は?」と声をかける。リーガンは無視してすすむ。小道具の銃は受け取らない。実弾入りの「自前の銃」を持っているから。いよいよ、その場面、無価値のおのれの存在をののしりながら銃を出してこめかみにあてる……。バンッ!銃が発射されるが、(映画の中の)「暗転」となり、次には、リーガンは病院にいる。彼が「生きている」ことが「示される」。ここで、私は、「なんで?」と思った。では、あの「ほのめかし」なんだったのだ? 考えられることは、リーガンがおのれのこめかみを撃つ瞬間、気が変わって、銃を持った手をこめかみがら外した。それが遅れて自分の鼻を撃つことになり、「鼻を失った」。『ハングオーバー』のだらしないデブだったが、痩せて(笑)ヤリ手の弁護士となって登場しているザック・ガリフィアナキスが、「その鼻が気に入らなかったら、何度でもすきな鼻と替えるがいい」みたいなことを言われ、ついでに、「メグ・ライアンの整形医を紹介してもらうか」みたいな楽屋オチ的ギャグ(この映画には満載であるが)を言う。

 レイモンド・カーヴァーの作品「愛について語るとき我々の語ること」の舞台化であるが、登場人物の三人がテーブルを囲んでいて、そこに、リーガンの役が登場し、みたいなシーンが何度も繰り返される。芝居の全体は見せない。この場面と、ナオミ・ワッツとエドワード・ノートンがひとつベッドに寝ているところに、銃を持ったリーガンが登場し終局へと至る、このふたつの場面のみである。このあたりが、洗練されていると見る。つまり、素材としての芝居の場面は最小限に抑えられている。

 最後、顔の上部、つまり、バードマンの被り物をしているときちょうど隠れている部分と重なるが、その部分に銃の自殺未遂によるケガを保護している包帯というか絆創膏というか、白い当て布がされているが、ベッドから起き上がったリーガンは、鏡の前に行きそれをむしり取って、おのれの悲惨な顔をつくづく眺める。窓辺へ移動。窓をあけ、再び自殺の試み?と思わせる場面となる。そこから「飛び降りたかのような」印象を与えるシーン。娘のエマ・ストーンが花を活ける花瓶を持って戻ってくる。パパがいない。不審に思ってあちこち探し、窓が開いているのに気づき、不安な顔で近づく。窓の下を左右に探すエマ・ストーンの顔。やがて、視線は上の方へ向き、その表情のみで、リーガンがバードマンになって空を飛んでいるのだろうことが示される。ここは自然な動き、なめらかな表情の転換が必要とされるが、映画なら、編集でなんともなるので、とくに演技力は必要とされないかもしれないが、まあ、あの笑顔はそれなりの演技力ではあった。

 この映画について、「まるで切れ目なしに撮影されたかのような」ということが、「宣伝」もあるのだろうが、騒がれたが、いま、編集技術を高度になっているので、たとえそうであったとしても、そんなことをやっても意味のないことは監督自身がわかっているだろう。

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