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2015年4月11日 (土)

『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』──バットマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ成功)(★★★★)

『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(アレハンドロ・G・イニャリトゥ監督、 2014年、原題『

BIRDMAN OR (THE UNEXPECTED VIRTUE OF IGNORANCE)』)

 本作の最大の瑕疵は、主役のマイケル・キートン自身が大した俳優ではないというところだ。なので、映画のテーマがどこかズレたものになる。当然ながら、「バードマン」は、「バットマン」のもじりだろう。いまや、バットマン俳優といえば、クリスチャン・ベールである。その昔、キートンは、日本で言えば、ショーケン(萩原健一)の子分を演じていた水谷豊のような、小チンピラが役どころであった。彼の俳優としての頂点は、「ザ・ニュースペーパー」で、三流新聞記者が意地を見せる役どころは、彼のキャラにぴったりあっていた。この映画は思いのほか豪華キャストであった。キートンは中年過ぎに、バットマンに抜擢され、「なんで?」と思った。あれよあれよというまに、老け、バットマンは何人かの俳優を経て、クリスチャン・ベールへ。そんな彼の俳優人生を「彷彿」とさせるストーリーの本作であるが、主題はきわめて玄人向けのものだ。よく、ハリウッドで成功した「映画俳優」が、舞台に立ちたがる。それは、成金が貴族の称号を願うようなものだ。ことブロードウェイは厳しく、ロンドンのウェストエンドでも同じことだが、たとえば、喝采を受ける舞台は、『ライオン・キング』『レ・ミゼラブル』などの、大衆受けと言ってしまえばそれまでだが、この分野にはこの分野の技術がいる。最近では、ジェイク・ギレンホールなどもしきりに舞台に出ているが、評判は聞こえてこない。そんな状況のなかで、本作の「元スター」、リーガンは、レイモンド・カーヴァー(村上春樹の「師」のミニマリスト作家)の作品を、自腹で舞台化する。劇場は、実在する、St. James劇場。すでにこの作品は、ブロードウェイでは「小品」である。それをめぐってのてんやわんやである。

 前衛的な舞台は、まず、グリニッジ・ヴィレッジなどにある小さな劇場で、小さな劇団などで上演されることが多く、それが成功すると、「オフ・ブロードウェイ」という中規模の舞台へ上がる。最終的な成功地点が、「ブロードウェイ」である。だから、初めっから、前衛でブロードウェイは、かなり厳しいものがある。そのあたり、本作では、うやむやになっている。どうせ映画の観客にわからないだろうし、監督本人もわかってないようだ(笑)。

 興味深かったのは、エドワード・ノートンと彼の演じるマイクである。舞台上でしか興奮できない役者は、おそらく珍しくないだろう。ノートン自身も出発は舞台で、舞台歴も長い。この登場人物こそ、もっと描くべきであっただろう。ノートンのデビュー作『真実の行方』は、「無垢な少年」が、ヤリ手弁護士のリチャード・ギアを文字通り食っていた……というわけで、メキシコ人の映画監督が思い通りにできるほど、ブロードウェイはヤワではない。アカデミー賞での高評価は、「無知がもらす予期せぬ」ものであろうと思われる。だいたいが、『バベル』も『21グラム』も、なんか観念的なだけで、映画的な深みが足りなかった。今回も、「やっぱりね〜」であるが、今回、星四つとしたのは、一つはエドワード・ノートンへ。あとの三つは、私の卒論が、「オフオフ・ブロードウェイ」だったので、個人的には、非常に興味深かったためだ(笑)。

(写真は2006年1月、ブロードウェイ@NYにて)

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