« 2017年1月 | トップページ | 2020年4月 »

2020年3月

2020年3月31日 (火)

ノーベル賞学者山中伸弥氏より緊急提言!

オリンピックの日付を決めてる場合か!

ノーベル賞学者山中伸弥氏からの緊急提言!

 

https://www.covid19-yamanaka.com/cont6/main.html






【詩】「澪標(みをつくし)」

「澪標(みをつくし)」
 
その昔大阪市の中心部は東京都の中心部と同じように一面の沼沢で葦が茂っていたそうです。
その葦に舟が邪魔されないように立てられた標識をみをつくしと呼んだんです。
その言葉にかけて「身を尽くし」、誰もが思いつく。
そんな舟に乗って私は、物語の男女の逢瀬を見物しています。
男、光り輝く帝すじ、女、わが身をみすぼらしく感じる明石の女。
そして私の名前は、新型コロナ。
水の中に溶けて待っていました、でも、私の寿命は短いんです、でも、私はすぐに生まれることができるんです、増殖も得意です。
「想定外」とは津波の規模ではなく、
まさにわたくしの登場でありましょう。
『世界はこうして滅びる』という本のなかにも、私の存在はありません、それこそまさに想定外。
志村けんはイタリア人と同じように袋に入れられどこかへ埋められたようです。
もう「現代詩」は書きようがないでせう。
 みをつくし恋(こ)ふるしるしにこゝまでもめぐりあひけるえには深しな
 数ならでなにはのこともかひなきになどみをつくし思ひそめけむ


 



2020年3月30日 (月)

【詩】「明石(あかし)」

「明石(あかし)」
 
ある本を探して本棚を見ていると、『吉本隆明全著作集1(定本詩集)』が埃をかぶってあった、はたして吉本さんはどんな詩を書いていたのか、
あわわ、いけね、いきなりキリスト教徒である。
このひとは、意外にも、キリスト教から出発したのかしら?
二十歳前後の頃、吉本さんちから直接雑誌『試行』を購読していた、
吉本さんが書いたらしい手書きの文字の封筒で来た。
書いてあることは私にはしちむずかしく、「状況への発言」だけがわかった、
毎号柄谷行人をけちょんけちょんに書いていた、あれも、なつかしい時間。
源氏物語の「明石」は、シェークスピアの『あらし』と『十二夜』を思わせる。
源氏が関係を持った女は、ドン・ジュアンの比ではないだろう、
これは藤原なにがしのために書いたポルノにちがいない。
あの時交わった女、明石の君への手紙を携えて、従者が明石へ帰っていく。
そのなにげない場面が美しく源氏の精液のことなど忘れてしまう。
 嘆きつゝあかしの浦に朝霧のたつやと人を思ひやるかな
 須磨の浦に心をよせし舟人のやがて朽(く)たせる袖をみせばや



 
 
 



2020年3月29日 (日)

【引用】「恋の至極」

「恋の至極は忍ぶ恋。一生忍んで思い死にすることこそ恋の本意なれ」

(三島が愛読した『葉隠』山本常朝(佐賀県のひとなり。ちなみに、「はがくれ饅頭」なるおみやげあり。よろしゅーに)より)

【コラム】「切腹論」

切腹というのは、短刀で横一文字に腹を切るだけではなかなか死ねないで、わきに立って刀でスパっと首を落としてくれる介錯人の腕が重要になってくる。浅野内匠頭の時代になると、自分で腹を切るのはまねごとで、介錯人に任せることになる。その視点から考えれば、三島由紀夫の首を見事に落としてくれた森田なにがし?への信頼は、あるいは、タイガー・ウッズの腕を信じたみたいなものではないのか?……てなてなことを考える「コロナ時代の午後」。

【詩】「須磨(すま)」


「須磨(すま)」
 
架空の人物と実在の人物との間は、言葉が欠かせない、
または、過ちに罰が必要なのと同じだ。
源氏はそう自らに言い、須磨へ行く決心をした、まるで、
実在の人物のように、悲しみだけが地面に降りそそぐ。
いま、月の出を待って思いのたけを吐露したかと思えば、こんどは、
きみのことを思っている、欲望が雲のように月を覆うのだ。
きみとふたりっきりになりたい、いやそれはいけないと考えなおす。
また、ときには、海に流れゆく人形にわが身をかさね、
歴史に現れた亀裂の理解に苦しむ。
渋谷では若者がウイルスなんてかんけーねーと遊びほうけているそうだ、
そう、オレっちは軽い症状ですむしさー、死ぬのは年寄りだ、
そうですかね。そこはまだ都にすらなっていない、
 そこはまだ、石ころごろごろ、ヤブ蚊がぶんぶーん、だけど〜♪
 知らざりし大海(おほうみ)の原に流れきてひとかたにやはものはかなしき


 


 

 

2020年3月28日 (土)

【詩】「花散里(はなちるさと)」

「花散里(はなちるさと)」
 
だがコロナが私を捕らえて、いっさいの逃げ道を認めず
覆い尽くしたとしても、どうか平静でいてくれたまえ。
コロナというのはウイルスの一種で、
ウイルスというのは、核だけの生物と無生物の中間のやつだ。
表皮はなくて、つまり、詩はなくて、
現実だけがむき出されたやつだ。
そやつが手にするのは肉体にすぎず、
私の魂はこの詩となってきみを守る。
なんて、シェークスピアが美貌の青年に贈ったかどうか、
源氏はもの思いつつ里まで来たが、
ほととぎすもいっしょについてきた。
昔の女はすげなくて、ただの知り合いの女の方がなつかしい。
 もしかしてほととぎすクンこないだの子?
 橘の香をなつかしみほとゝぎす花散る里をたづねてぞとふ


 



2020年3月27日 (金)

「新型コロナウイルス速報」

https://covid-2019.live

【詩】「賢木(さかき)」

「賢木(さかき)」

 

きみが私のなかに見るものは小暗い森、

妖精もいなければこびともいず小鳩も小鳥も消えてしまった、

誰かが魔法をかけたのだ、

いまは時間だけが凝結しひとの声さえ霊となりはてた次元。

私のなかにきみが見るものは物語の切れ端のそのまたきれはし、

闇さえまだ明るさをもっている東西南北、

すべての棺を集めて魔女たちが嗚咽する姿、

生ほど忌まわしいものはないと光はささやく。

私のなかにきみが見るものは焔の分身、

死の床に横たわっているのは私、

おのれの夢の灰に埋もれ、青春だと思っていたものが、

永遠と差し違えて見せられる焔だ。

 神垣はしるしの杉もなきものをいかにまがへておれるさか木ぞ

 少女子(をとめこ)があたりと思へばさか木葉の香をなつかしみおれるさか木ぞ





2020年3月25日 (水)

『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実 』──三島由紀夫という「現代思想」

『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実 』(豊島圭介監督、2020年)

三島由紀夫は「当時」、ノーベル賞をうんぬんされる世界的作家(実際、カワバタではなく、彼が取るべきだった)であるのだが、全共闘が突然電話をかけてきて、討論をやりたいといい、快く引き受け、1000人の「敵」が、招いたにもかかわらず、会場(東大の900番教室)の入り口には、三島をゴリラに見立てた絵のある看板、そのほか、とうてい「おとな」とは思えぬ態度にもかかわらず、一人一人の言っていることを誠実に聞き、ていねいな言葉で応答している。これは、完全に三島の勝ちなのである。ただ、三島は、ほんとうに右翼だったのだろうか? 彼の言葉を聞いていると、逆説に逆説が重ねられているようにも思う。
 小林秀雄の講演をCDで聞いていて、聴講の学生が質問する。「先生は、天皇についてどう思いますか?」「なに? 天皇? きみは天皇を身近に感じる?」「いいえ」「だったら、身近に感じるものの話をしなさい。そんな自分が身近に感じられないものの話をしたってなんの意味もない」
 しかし、三島由紀夫は、学習院を首席で出た時、昭和天皇から直に金時計をもらっている。昭和天皇は彼にとっては身近な人だったに違いない。それと、観念としての天皇とか、天皇制うんぬんを付き合わせてみてもしかたがない。今では、吉田裕著『昭和天皇』によって、昭和天皇は、自分の意志をもって統治していたことが明らかにされている。そして、「そこ」へ行き着くまでは、政府=軍部という「権力」が存在していた。戦後はその「構造」が見えなくなった。それは「安保」という陰の存在のせいでもある。その点を、「全共闘」のオボッチャマ集団は、「革命」などという夢を見て「暴れた」のである。
 三島は三島で、昭和天皇への憧憬を、思想にまでもっていく。問題はその作り方で、三島は世界文学の教養があったから、自然、「現代思想」にならざるを得なかった。それで、「ぼくの大っ嫌いなサルトルの『存在と無』にこんな言葉がある──」なことを言う。ちゃんと読んでいるのである。彼は彼なりに、サルトルを超えようとしていた。そして、自衛隊への突っ込みも、「クーデターの要求」は表向きで、実は「テロ」だった──。彼以外の日本人のすべては右も左も、思想的には近代を迎えられず、三島のみが、構造主義のあたりに来ていた──。誰も理解してくれず、たった一人で楯の会というミニチュア軍隊を作り、「革命」を「演じよう」とした。結果はわかっていた。
 本作でTBSが録画していた、全共闘との討論は、自衛隊に突っ込む一日半前である。あのもの柔らかで清々しい表情からは、いかなる決意も窺われない。そして本編は、最後の「事件」はごくあっさりと伝えている。しかし、私は新聞が伝えた、生首が転がっている写真をいまだに覚えている。その生首こそが、「モノ」であり、全共闘の学生たちは、ついぞモノをつかむ前に、言葉(観念)の前に生き延び、普通のジジイになっていったようだ。そういう事実を、まざまざと見せてくれるドキュメンタリーである。
 それにしても、この討論には、女性の存在は皆無である。まあ、マッチョ集団とも言える集団ではある。



« 2017年1月 | トップページ | 2020年4月 »

最近のトラックバック

無料ブログはココログ
2020年6月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
フォト