スペイン旅行の帰り道
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友だちが福島入りしていた(2014年6月1日。「手しお屋」というNPOの「ツアー」に参加したらしい)。以下、括弧内は、彼女のメール。
「昨日は仮設住宅を訪問し、今日は原発近くの被災地を視察。復興はまだまだだね」
「2時間しか滞在してはいけないところに、線量計を持っていった」
「飯坂温泉の宿では、0.15マイクロシーベルトだったが、富岡駅付近では、最大1.31(マイクロシーベルト)だった」
*****
ご参考までに。
1シーベルト(Sv)=1000ミリシーベルト(mSv)=100万マイクロシーベルト(μSv)
数値は、たぶん、1時間いたら、被爆する線量だと思うので、この数値は、問題ないように思える。だから、「観光客」がいる。健康への影響は、何百ミリの単位になってはじめて、考慮する値になる。
****
今日来た続編。
「仮設住宅の人や宿に来て話をしてくれた被災者の人に、美味しんぼの鼻血の件について聞いたら、「怒りを感じる」って言ってた」
写真は、彼女が撮影した、富岡駅。
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12日午前11時45分、成田発のJALで、ロンドンはヒースロー空港に、午後3時過ぎ(現地時間)妹と着き、バンのだだっ広いタクシーで、予約してあったホテルへ。長蛇の列のわりあい厳重な入国審査を終え、やっとたどり着いたホテルだったが、なんかトラブルがあるんじゃないかという予感通り、トラブル勃発。「メンテナンスの都合で、空き部屋なし。代わりに別のホテルへ、当ホテル支払いのタクシーで、ここから15分ほどのホテルへ行ってください」
「えー? このホテルは劇場へも観光地へも歩いて行けるので選んだのに~~」
代わりに朝食を付け、観光地最寄りの地下鉄までタクシーで何度往復しても当方が払います」
しかたくそのホテルへ行ってみると、前のホテルとは比較にならない、ゴージャスな五つ星ホテル。アカデミー賞の贈呈式のように着飾った男女が、エレベーターやロビーにいる。部屋も広くて、明るい。ノノで、でも、うれしくない。冬のロンドンは、午後4時にはもう暗くなる。スーパーに買い出しに出ねばノノと、気を取り直して、出かけ、世界一物価が高いというロンドンで、安い、紅茶や菓子、サンドイッチ、などを仕入れる。
A fault of the hotel, I couldn't have a room in the hotel I have
reserved. So the hotel gave us a room in the hotel more luxe...but I'm not so happy. Because I have chosen the hotel for it's location. My plan of tourism is broken by that accident.
But I bravely went to shopping for tonight's meal.
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雪のピレネー山脈を越え、飛行機はボローニャ空港に着いた。2列、2列の席が並ぶ機内で出されたのは、パンと飲み物。しかし、このパンがうまいのだ。やはり小麦が違うから、まずくなりようがないのだな。早速タクシーに乗り込んで、ホテル「アストリア」まで。20分もかかってなかったので、日本円にして、1000円台だったと思う。車種はメルセデスのSWで、どうもイタリアでは、ワゴン車ありで、思い思いの車をタクシーにしているようである。すべて「公式」のタクシーである。そして、ボローニャでは、やはり「大学の町」だけあって、人々は愛想がないながらも誠実で、タクシーの運転手しかり。帰りなど、数百円ぶんのチップすら受け取らず、ちゃんとおつりととも返してくれた運転手もいた。
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ボローニャ行き帰り二泊。鉄道でフィレンツェまで。超高速で30分。フィレンツェ二泊の、弾丸旅行に行ってきた。四泊六日で、まあ、しゃべったわ、しゃべったわ、イタリア語を! そして、目的の場所を探して一日20000歩近く、そして……疲れた。乗り換え地点のフランスは、シャルルドゴール空港も、やっとのことで、帰りのJAL機に、乗り込んで、客室乗務員のお姉様がたの満面の笑顔で「お帰りなさいませ」に迎えられた時には、『暮らしの手帖』2012年12-2013年1月号の、ドナルド・キーンのエッセイではないが、「日本人てなんてやさしくて親切ぅ〜」、日本人に生まれよかったぁ〜(海外旅行たび思うのだが(笑))と、心から安堵するも、「わかりにくいんだよ、乗り換えが!(日本人の従業員が全然おらず、日本語はほぼ通じない。しかも、乗り換えターミナルは、降りた地点の反対の端(その距離は、ひとつの町といってもいいほどの距離)」と、JALへのクレームも爆発! でも、よかった〜……と、安倍晋三ではないが「美しい国日本」……と、思わないでもないが、まあ、「世界一安全」(治安が)は、キーンさんのおっしゃるように確かでしょう。
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マット・デイモン主演の『アジャストメント』を観ていたら、5年前ニューヨークへ行ったときも、雨が降っていたのを思い出した。この映画の舞台もニューヨークで、雨、水が、キーアイテムになっている。必然的に、船着き場も、重要な場所である。
ヨーロッパからの移民の船が最初に着いたのも、自由の女神がすぐ近くに見える船着き場だったので、ここは、ニューヨークの入り口のような感じがある。
急な雨に降られ、デリで黒の折りたたみ傘を買ったが、ニューヨークの人々の傘は地味で、黒か、たまに、ゴルフで使うパラソルのような大振りな傘を差している人もいる。しかし、なにせ、5年前である。人々の様子も変わったかもしれない。しかし、この映画で観るかぎりは変わっていない。
もうひとつのキーアイテムになっている帽子を、キーパーソンから受け取ったデイモンが、雨のニューヨークの街を走り出すシーンは、ドラマチックな感動が心を揺さぶる。
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台風の影響で、このところ、日本の大部分に雨が降っているのではないか。こちら、福岡も雨で、気分は、「ショパン」になっている。昨日は、ホロヴィッツのショパン、エチュード(ハ短調作品10-12)「革命」を聴いていた。ついでに、それをジャズにした、マル・ウォールドロンの同曲(アルバム"Spring in Prague"より)も聴いてみた。……いいじゃん、いいじゃん。10年ほど前には、かなりその気になって聴いていた曲であるが、今の方がそのよさがわかる。
「グールドの帽子」さんのブログを覗けば、イタリア旅行の報告が続いて、今日は、「ペルージャの雨」である。
コメントを残せば、「山下さんも得意のフランス語で、フランスの街を闊歩してください」というお返事。そっか〜。で、突如、2年前のパリを思い出し、かつ、ネットにはアップしていなかった写真を取り出してみた。
2009年12月24日、妹と、たどり着いたパリは、雨だった……。午後6時もまわっていたか、シャルル・ドゴール空港の外はすでに暗い……。いろいろ聞きまわり、パリ市内に入る空港バスが出る場所を探した。大して大きくはないが、スーツケースもがらがら持ってバスに乗り込んだ。いじわるな運転手が、「ほらほら、荷物は、ここへ載せて」と、荷物載せの棚を示す。「重くて上がらないから、載せてください」というと、知らん顔で行ってしまった。でも、見るに見かねた、近くに座っていた親切なお方が、われわれ二人のスーツケースを棚に上げてくれた。パリは、いじわるな人と、親切な人が、はっきり分かれている……ような気がする。
オペラで降り、雨の石畳を、がらがらスーツケースを引きずって、ホテル、インター・コンチネンタル・パリ(だったかな〜?)に向かう。だいたい、停留所の近くだったので、すぐに見つかるはずであるが、雨のために手間取る。タクシーにすればよかった、今度は、タクシーにしよう……と、思いつつ、冷たい雨の道をあっちゃこっちゃ……。なんと、舗道には、アフリカ系のホームレス(仏語では、SDF(sans domicile fixe……直訳すれば、「固定した住居なし」)が「寝ている」。雨が打ちつける舗道のまん真ん中に、だよ。「倒れている」のではなく、明らかに、「寝ている」。眠っているわけではないようだが、ふてくされたように寝ているのである。日本じゃ、青いビニールテントの邸宅にお住まいになっているホームレスが、ここでは、雨ン中で寝転んでいる……。このあとも、日本と比べたら、はるかに厳しいホームレス事情を見ることになる。なんと、日本はホームレス天国だった!
着いてすぐ、ネットで予約してあった、ホテル内にある、「カフェ・ド・ラペ」(ミシュランに載っている有名レストランであるが、お値段はそれなりに張るが、どってことないお味)で食事をし、夜の街へ。まずキオスクで傘を買う。
「お写真」は、クリスマスイブの雨に煙る、マドレーヌ寺院である。この内部はすばらしかった、ですが、それは、またあとで。それと、雨のパリの街角。マドレーヌ寺院の近く。
![]() | ![]() | ホロヴィッツ/ショパン・アルバム
アーティスト:ヴラディーミル・ホロヴィッツ |
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ほんとうは、ロンドンへ行こうとしたけど、クリスマス期間は完全休業の店が多く、交通もストップすると聞いたので、「しかたなく」(笑)、パリに変更。まあ、開いてましたが、やはり、この期間は、自宅でゆっくりくつろいだ方がよかった。 4度目のパリです。大統領は、ミッテラン、シラク、サルコジと変わりました。だんだん、寂れていくような印象。とくに、凱旋門へと通じるシャンゼリゼ大通りは、6年前とあまり変わらず、日本によくある中都市の商店街(笑)の印象でした。もちろん、面積は広いですけど。夜店、縁日の店ならぬ、クリスマス市の店が通り沿いにずーっと並んでいました。日本の縁日と違うところは、店が「地べた」(笑)ではなく、高い位置にあり、ちょうど屋台の飲み屋の高さで、しかも木製の店はすべて白で統一されています。
クレープの店、サーモンを燻製にして売る店、キャンディーショップ、などなど、なかなか賑やかですが、すごくおいしそう!って感じでもないところは、日本の夜店、縁日の店と共通しているような(失礼!)……。
ホームレスが増えていて、しかも、彼らの状態は、日本のホームレスに比べて劣悪の度が大きいようでした。
クリスマス市のシャンゼリゼ通りは、各国からの旅行者で賑わっていました。とりわけ、ロシアからの旅行者が多く見受けられたのが6年前との違いです。
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